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「あなたに聖書を」
「キリスト教百話」・・・16
問15 これまでの話で「聖霊は真理を知らせる」ということと、「真理は自由を得させる」ということが語られましたが、その辺りのことを説明して下さい。
答 「真理とは何か?」と聞かれて、「はい、これがそうです」と答えた場合、「それが真理であることは何によって証明されますか?」と問われたら、その答えは出ません。そういう性質のことであることを承知の上で答えるなら、キリストが「わたしは真理である」と言われたことが、その鍵になると言ってよろしいでしょう。
「真理」と言われているものには科学的真理とか呼ばれているものもありますが、聖霊によって与えられる真理というのは、人間の認識能力を超えたところから与えられるもので、「これが本当のことである」とか、「これが本当に自分を生かすものである」と確信を与えてくれるもののことです。釈迦は人生苦から解脱する秘訣を悟ったと言われていますが、そこで得た「悟り」というものは、人知を超えた真理ではなかったかと思います。
ところで、キリストによって神からこの世に与えられたものを「福音の真理」と言いますが「福音」という言葉の字義は「喜ばしい知らせ」ということでありまがす。何が喜ばしいことであるかというと、神様が共にいて下さるということが、キリストによって本当に確信出来るからであります。
わたしたちは生きる根拠を自分においています。しかし、その自分というものが本当に確かな存在であるかというと、甚だ怪しいのです。吹く風で折れてしまう葦のような弱くあやういものです。またどんなに頑張って見ても、遂には死の力に飲み込まれてしまうものです。にも拘わらす、そういう自分を拠り所としてしか生きられないのは、人間が大きな見当違い(それを聖書では神との関係における「罪」と呼んでいます)の結果のすべてを神から遣わされたキリストが担って清算し、そして、人間自体から生み出せない死なない命(これを「永遠の命」と呼びます)に生かすという喜ばしい消息(福音)が、キリストの十字架と復活において、われわれに示されているというのが、聖書が言うところの「真理」なのです。そしてこの真理は、人間の認識力によってとらえられるものでなく、聖霊によって与えられるものです(全くタダで)。
われわれがどういう人間であろうと「わたしはいつもあなたと共にいるよ」
と神様から保証されているくらい確かな拠り所はないでしょう。「わたしは真理である」といわれたキリストを聖霊によって信じることが出来る者とされた時、わたしたちの人生の土台は本当に確かなものとされ、自由を得るのです。(次月号に続く)。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
4月放送予定
6日 横山良樹 (日本基督教団半田教会牧師)
13日 横山良樹 (日本基督教団半田教会牧師)
20日 岩淵正樹 (日本基督教団高蔵寺ニュータウン教会牧師)
27日 岩淵正樹 (日本基督教団高蔵寺ニュータウン教会牧師)
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」