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解説 ウエストミンスター信仰告白 (22)
岡田 稔著
(元神戸改革派神学校校長)
第十章 有効召命について(1)
1 神が命に予定されたすべての人間を、そして彼らだけを、神は、自ら定めてよしとされる時に、神のみ言葉とみたまとで(1)、生まれながらに置かれていた罪と死の状態から、イエス・キリストによる恵みと救いへ(2)と有効に召命するのをよしとされる(3)。それは、神のことを理解するために、彼らの心を霊的に、また救拯的に照らすことにより(4)、また彼らの石の心を取りさって、肉の心を与えることにより(5)、彼らの意志を新たにし、その全能の力によって、善にむかって決断させることにより(6)、また彼らをイエス・キリストヘと有効に引き寄せることによってである(7)。しかも、彼らは神の恵みによって自発的にされて、最も自由にくるのである(8)。
1 Ⅱテサロニケ2:13(*)、Ⅱコリント3:3,6
*Ⅱテサロニケ2:13,14が正しい。
2 ロマ8:2、エペソ2:1-5、Ⅱテモテ1:9,10
3 ロマ8:30、ロマ11:7、エペソ1:10,11
4 行伝26:18、Ⅰコリント2:10,12、エペソ1:17,18
5 エゼキエル36:26
6 エゼキエル11:19、ピリピ2:13、申命30:6、エゼキエル36:27
7 エペソ1:19、ヨハネ6:44,45
8 雅1:4、詩110:3、ヨハネ6:37、ロマ6:16-18
一 前章で、人間は自由意志が与えられているということと、罪人の自由意志は救いを自力で得る力を失っていることが明らかにされたが、本章は、救いを得ることが、まったく神の恵みの業によってのみ成り立つことを明らかにするための準備的告白である。
「有効召命」と呼ばれているのは外的召命と言うところの対比上名づけられたものであって、福音の宣教は罪人を救いに招くことであるが、それは外的、すなわち可見的な方法手段あって、かならずしも目的を達しないものである。宣教は万人に共通な呼びかけであるが、有効的(効果的)召命は、選ばれた人のみに限られた呼びかけである。
「神は、自ら定めてよしとされる時に」とは、神がよしと指定された一定の時期にそれが呼びかけられるという意味である。この招きは、神の「み言葉とみたま」とによるものであり、み言葉もみ霊もともに「キリストのみ言葉」、「キリストのみたま」と呼ばれ、天に昇られたキリストが地上において、救い主としての職務遂行をされるときの両手である。
罪人の覚醒がみ言葉だけで生じると見ることと、み霊の働きだけで生じると見ることに反対しているのである。「また彼らの石の心を取りさって、・・・」以下は、このみ言葉とみ霊によってなされる招きの業の具体的内容を語るもので、それは心の全部分に及ぶみ業であるが、特に理性と意志とに大きな変化を与える点を指摘し、また、その変化の第一歩から完成への全てに亘って、み言葉とみ霊が働かれることを明らかにする。また、前章の結びで述べたように、このみ業は、決して強制とか、必然的決定という形ではなく、自由という方式でなされるのである。
2 この有効召命は、神の自由な特別恩恵からだけ出るものであって、決して人間の中に予知される何物からでもない(1)。ここでは人間は、聖霊によって生かされ新たにされ(2)、それによってこの召命に答え、またそこで提供され伝達される恵みを捕えることができるようにされるまでは(3)、あくまで受け身である。
1 Ⅱテモテ1:9、テトス3:4,5、エペソ2:4,5,8,9、ロマ9:11
2 Ⅰコリント2:14、ロマ8:7、エペソ2:5
3 ヨハネ6:37、エゼキエル36:27、ヨハネ5:25
二 カルヴァン主義は、予知説に対して厳格に予定説を主張したが、ここでその意味と必要性とが明らかになるであろう。すなわち、神が主権的に召されるのであって、人間は召しだされる以前には、全く感知しないばかりでなく、人間の内には、何ら召される理由が存在しないのである。
キリスト者が持つ非キリスト者との相違の一切は、神の召命によってわたしたちの内に生じてくるものであって、その反対ではないのである。
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東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」