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「ローマ人への手紙」研究 (112)
第64課 異邦人の召命とユダヤ人の拒否
9章1~11章36節(続)
F 神のユダヤ人拒否は最終的なものではない。何故なら、彼らの多くの者がキリストへ立ち帰るからである。
9章1~36節 (24)
「神は無限に偉大かつ善なる方であるばかりでなく、人間の心には測り知ることのできない方である」。
「ああ深いかな、神の知恵と知識との富は、そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい」。(11:30)(1)
この節の最初の部分は「富」すなわち、「豊かさ」を「知恵」と「知識」とに並行させて、「ああ、神の豊かさと知恵と知識の深いことよ」と訳すことができます。このように訳すと、「神の豊かさ」とは罪人に対する神の恵み・慈しみを意味することになります。英語欽定訳では、口語訳のように「神の知恵と知識との富は」と訳しています。文法的にはどちらの訳も採ることができますが、C・ホッジは、ここの主題が、神の恵みであるからには、前者の読み方の方が好ましいとしています。H・アルフォードもピリピ書4:19の「神ご自身の栄光の富」という聖句を参照しつつ、ここでは、「豊かさ(富)を」を「知恵」と「知識」とに並行させて、神の属性の一つと解するのが良いとしています。彼は「富」「豊かさ」を神の善性の豊かさと説明しています。
神は無限の存在者であられます。神は存在においても属性においても、無限なお方です。すなわち、神には限界性はないのです。ウ小教理問答書の問4の答えに「神はその存在と知恵、力、聖、義、善、真実において無限、永遠、不変の霊である」とあります。近代宗教の多くが有限なる神を信じているのに対して、聖書には神は無限者であると教えているのです。すなわち、スーパーマン乃至は人間性の投影と考えます。現代の著名な教会人たちが公然と「今日、人々が求めているものは、有限な神であって、道徳領域を例外として、絶対者のごときものを尊敬することなどできない」と言います。
また神は、人々に他人を愛するように助けることはできるが、それ以上のことはできない。従って祈ることなどは無用だとさえ言う人たちもいるのです。これらはみな有限の神という近代主義神学の考え方の例です。近代主義神学の有限の神に対して、聖書に御自身を啓示されている無限者なる神は驚くべき優れた方です。
神は真実に存在される生ける神であって、人間の想像や創作の断片の一つでは決してないのです。
J.G.ヴォス著
玉木 鎮訳
(日本キリスト改革派引退教師)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」