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「あなたに聖書を」
「キリスト教百話」・・・17
問15 これまでの話で「聖霊は真理を知らせる」ということと、「真理は自由を得させる」ということが語られましたが、その辺りのことを説明して下さい。
答 「真理とは何か?」と聞かれて、「はい、これがそうです」と答えた場合、「それが真理であることは何によって証明されますか?」と問われたら、その答えは出ません。そういう性質のことであることを承知の上で答えるなら、キリストが「わたしは真理である」と言われたことが、その鍵になると言ってよろしいでしょう。
・・・前月号の続き
次に「真理は自由を得させる」という場合の「自由」ですが、これは法律で許されている自由とは拠り所が違います。普通、法律に引っかからなければ何をするのも自由と考えています。しかし、隣り近所に迷惑をかけて良いという自由は、社会生活上の中では許されないことでしょう。また、暴走族はスピード違反や騒音防止の理由で法的に取り締まられますが、暴走する人たちの心を占めている「自分の好きなことをしたい」という思いは取り締まれません。
この「自分がしたいようにする」を「自由に生きること」と考えている人は多いでしょう。従って、それは、自分を束縛しているものから解放されて生きたい、ということでもありましょう。
ドフトエフスキーの「罪と罰」という作品の中に出てくるラスコリニコスという青年は、「ナポレオンは沢山の人を殺したのに英雄と崇められている。だとしたら、貧しい人たちに金を貸して苦しませている強欲な金貸しばあさんの一人くらい殺すのは人助けになるのではないか」といってそのばあさんを殺すのですが、殺した途端、自分が殺したことがばれないように気を配ります。今まで平気で生きてきた世の中が、そうでなくなります。自分が自由だと思ってやったことが、自分を不自由にしてしまったのです。
「自由と規律」という言葉がありますが、右の例から言えることは、自由とはある規律の中でのことである、ということが出来ます。問題は、その規律の確かさにあります。例えば、昔は姦淫は重罪として処刑されました。が、今では不倫などと言って、せいぜい離婚理由か慰謝料問題くらいにされています。
多少のリスクは負わなければならないにしても、不倫することも自由だ、ということなのでしょうか。が、その自由は、欲望の奴隷でしかないのです。好きなことをすることだけを自由だと考えている人は、好きなこともしないでおれる自由こそ、本当の自由であることを知っていない人です。
母親は、飢えている子供のために、自分の食欲を抑止します。愛する者のためにはしたいこともしないのです。
この項での結論を言いますと、キリストは「全身全霊を挙げて神に聞き従い、また自分を愛するように自分の隣人を愛せよ」と言われ、その通りに生きられました。「真理は自由を得させる」とはこのことです。自由とは、自分中心の自分であり、死ぬことに定められている自分から解放され、キリストによって明らかにされた神の御心に従って生きることにあります。
福音の真理は、わたしたちを自己中心の自己から解放し、神の御心に従う生き方へと方向を変えさせるものであり、そうさせるものの根底にあるものは「愛」であります。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
5月放送予定
4日 二宮 創 (日本キリスト改革派大田教会牧師)
11日 二宮 創 (日本キリスト改革派大田教会牧師)
18日 西堀則男 (日本キリスト改革派岐阜加納教会牧師)
25日 西堀則男 (日本キリスト改革派岐阜加納教会牧師)
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」