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世田谷通信
(128)
猫 草
時は春、これを書いているのは、あと1時間で春のセンバツ高校野球決勝戦が始まる、というタイミングである。もともと高校野球好きだが、長男が高校に入ってぐっと身近になった感がある。自分が小学生のときには選手は大きくて立派で憧れの対象だったが、自分が年を重ねていくうちに、すっかり選手は幼い子ども、もう監督の年齢に近くなっている。
今回お気に入りのチームを追っかけのようにテレビ観戦していて、少しだけ監督の気持ちが分かった気がする。プロのスカウトが注目する豪腕ピッチャーでも、打率5割のホームランバッターでも、結局はまだ高校生なのだ。とにかく遊びたい盛り、エネルギーだけはありあまり、すぐにサボり、すねるし、けなせば落ち込む、褒めればうぬぼれる。この子達をまとめてよくぞここまで鍛えたものだ。そして、野球に熱中する息子を支える、親のサポートも大変なものだろう。もう、選手や試合そのものより、裏方に徹する人たちの努力に感動し共感して涙ぐみそうになる。
勝つか負けるかは、地道なプレーの積み重ねの結果・・のはずだ。しかしそこは16歳、17歳の高校生、思わぬことも多々起きる。なぜそこで打ち上げる?なぜそこで飛び出す?なんでそっちに投げる?それでも、チームの方向を修正し、叱咤激励し、形を作っていく。そして試合の潮目というか流れ、というのを分ける瞬間は必ずある。勝負の境目を自分のほうに引き寄せる。周到な準備や努力を総動員して不確実な現実に対処するのだ。その勝負どころに監督の表情が映ると、目が離せない。
高校野球という巨大な舞台を支えるたくさんの大人たちのストーリー。その中央にあるグランドに、無心にプレーする高校生たちの姿がある。あの子達は一切気にしなくていい。ただひたすら、野球をしていればいい。その幸せ。
それにしても、あのバックネット裏のコアなファンの皆様、すごい。最初から最後まで全試合かぶりつきで、誰かと話をするわけでもなく、ひたすら観ている。そこまでの境地には程遠いが、次は夏だ!甲子園、楽しみ。
*この添付のイラストは絵を描くのが大好きな次男がパソコンのペイントツールで描いたものです。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」