[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ビルマ
戦犯者の獄中記 (39) 遠山良作 著
昭和22年
4月12日
―橋本氏一人でハンストを決意―
夕方である。橋本氏より鉛筆の走り書きで、次のような内容の書面が届けられた。
(原文のまま) 本日14時30分頃、所長に呼び出しを受け、半減食、並びに出房禁止10日間の懲罰を科せられました。その経緯は次のごとくであります。
今朝運動の監視に来た英人通称(ゴロツキの渾名あり)が頻りに訳の分からない怒り声を発して西側から順番に扉を開けて、運動と水浴をさせつつ、私の房に来ました。平常と違って運動の時間が長い者でも17、8分位だと感じました。規定では30分位ですから、その規定が改悪されたのかと思って、私は彼に英語で、「運動は何分ですか」と質問しました。私の言葉は平静であったと思いますが、彼は私を人間と思っていないので、しゃくに障ったらしく、数語の怒鳴り声を発して、何時ものポーズ(ボクシングの身構え)をとって私を威嚇し、「俺の勝手だ、何を文句言うか」と私には聞こえましたが、私は更に、「あなたの運動時間は非常に短い」と言った。私の態度は真剣でありました。その結果、私は運動を中止させられ房に入るように彼は言ったので、素直に服従しました。
その理由で所長より懲罰を受けたのです。所長は「故なく監視の英兵を撲ろうとしての身構えだ」というのです。私は本当のことを一生懸命に説明しましたが所長(印度人)は「お前は収容所監視の英人ともある者が嘘を言っているというのかと・・・」と決めつけてきました。ゴロツキの英人は傍らで平然と紳士づらをして立っているのです。
私は更に「私の言葉は真実です。もう一度彼に確かめて下さい」と言いました。所長は「黙れ・・・」と大声を発して私の発言を許さず、退出を命じました。私は格別腹も立ちません。むしろ、彼等の本質を哀れにさえ感じました。勝者である彼等の優越感を満足せしめたのかと考えると、戦犯裁判もこのように、審理され、成立しているのだと思いました。私はこの時、断食抗争を決意しました。
表面の理由は、「彼等の理不尽なる懲罰の取り消しを要求しての抗争でありますが、その折衝に当たって徒らに、我々を苦しめている「蚊帳問題」を取り上げます。「独生、独死、独去、独来」が世実なる相であるのです。私が起こした問題は私が解決しなければなりません。又私一人で充分すぎるほどです。
兄等は真に同志として、私の気持ちが良く分かっていただけるものと思います。若し私が斃れた時には然るべく処置を取って下さい。それまであくまで冷静なる態度でいて下さることをお願い致します。 橋本幸男より
田室、遠山大兄へ。
***********
この文章の転載はご子息の許可を得ております。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」