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その愛のゆえに
=時々の記=
(98)
4月17日
母との思い出はやはりとても懐かしく、事が起きるたびに、母に相談したい思いに駆られたり、お祈りしてもらいたい気持ちになります。納骨日の20日は雨模様です。それもまたよい思い出になることでしょう。
‘母は涙乾く間無く祈ると知らずや’と賛美しながら天国で祈り続けてくださいね。と話しかけています。
4月20日
今日、イースターに母の納骨を執り行っていただきました。愛する母との懐かしい思い出が次々とよみがえってきて、あふれ出る涙を止めることはできませんでした。姉は、教会の皆さんにご挨拶を述べました。58年前、伊賀上野に一家5人でやってきたのが、ちょうど4月の末でした。その時は5人が泊まる家もなく、信徒のお家を日替わりで泊めていただき、やっとのことで市営住宅に移り住み、ほっとする間もなく出ていくように言われ、途方に暮れていた時に諏訪武臣先生、マカルピン先生のご支援を頂いて、今は壊された、旧牧師館と礼拝堂が建設された時の喜びは今も鮮明によみがえってきます。今、このような大きな礼拝堂で礼拝を捧げることが出来ることは神様のお恵みとしか言いようがありません。
父と母の生き様はまさに讃美歌146番です。皆さんでご一緒に賛美してください、と言うと、小野田先生がそれでは歌いましょうと言ってくださり、皆で賛美いたしました。長い間教会の礼拝に出られていなかった方たちも来てくださり姉と私はもう涙で胸がいっぱいになりました。気を遣っていたのでしょう、今はがくんと疲れが出てきています。
4月24日
こちらは朝は霜が降りるほどの寒さでしたが、日中はとても気持ちの良い一日でした。昨日とは別の道を一人で散歩いたしました。日差しがきついので、日傘を差しての散歩です。日中ですのに誰にも会わずに、会話もなしに帰ってきました。なんてさびしい村になってしまったのでしょう。でも車はカーブでもスピードを落とすことなく飛ばしていくのに何台も出会いました。路を歩くのが怖くなってきました。やはり犬たちと一緒のコースで山道が安全かなと思いながら景色に目をやるゆとりがなく急ぎ足で帰ってきました。
犬いると喜びあげぬ初ツバメ。
遠霞次の一歩を踏み出さん。
図書館の桜の枝の躍動す。
飛花落花永久の命を願わばや。 馬場路哉
4月28日
5月号の「今月のことば」にありましたが、皆、人にはそれぞれに歌がありますね。その歌は時には喜びの歌であり、また時には悲しみの歌でもあります。でもその時々にあって、その歌は神様に訴えるのであるのでしょう。神様はいつもその時々にあって正しい歌で導いてくださると確信して今も歌い続けている私です。
若草をサラダとしたる犬の食(は)む。
仰ぎては仰ぎて食ぶる花見かな。
車椅子ゆるゆる押され花吹雪。
読書して覚ゆる自由春の空。
囀りに妙なる調べ散歩道。
花匂ふ里山村の中ほどに。 馬場路哉
5月4日
パソコンが故障してメールが出来ません。その淋しさ、不便さを痛感しています。如何にパソコンが生活の中に入っているかを知らされました。暫くかかると言われてしまいましたので、手紙にして送ります。
草創の夫人納骨イースー。
夢に見る御国の姿イースター。
公園の青柳吹かれ啄木忌。 馬場路哉
5月5日
朝からうっとうしい雨模様です。昨日はオルガンで賛美しました。NHKTVで『花子とアン』を見ました。村岡花子さんの生きざまに触れ、子供の頃よく読んだ『少女パレアナ』を一気に読み返しました。パレアナがどんな悲しみに出会っても、どんな苦しみにあっても、その中で‘喜び探し’をし続けた姿にクリスチャンとして大いに学ぶところがありました。そんな生き方を祈り求めたいと思いました。
病癒え門(かど)掃く嫗(おうな)春夕べ。
弟子たちは復活の主にまみえかり。
滔々と瑠璃は変わらず春の川。
真善美求めるために入学す。 馬場路哉
5月6日
寒い朝です。ストーブをつけました。犬たちも冷え込んだのか、早く連れてって、と催促しています。東北ではクマが人を襲ったというニュースに驚きました。山添は猪や鹿、狸や猿などの動物が餌を探しに山里まで下りてきます。犬たちが吠えてくれるので近寄りませんが、筍はすっかり食べられていて無残な姿だけが残っています。1本だけ見落としたのか残っていましたので早速持ち帰り、自然の恵みを味わいました。山の奥に入るとわらび、ぜんまいがあります。上野や奈良から山菜採りに来る姿が見られ暫くは賑やかな田舎の様子です。
車椅子蒲公英(たんぽぽ)近く止まりをり
高原に降り立ち薫る春の風。 馬場路哉
5月8日
昨日、伊賀上野に出掛けて、お花屋さんを覗いてみました。5月の第二日曜日は、母の日ですから所せましと言わんばかりにカーネイションが置かれてありました。今はカーネイションの色も黄色や、オレンジなど色が豊富、びっくりです。この母の日の由来は学生時代にポーリン・マカルピン先生のお話を聞きました。これはアメリカのある牧師さんがいつも信徒のために牧師を支えている夫人に感謝の意味を込めて、特別に五月の第二日曜日を母の日と名づけ、大きくなって家を離れた子供たちも、その日だけはみな家に帰って母に感謝をささげる日ということでした。ですから皆さんもぜひこの母の日のことを覚えて、感謝を伝えていきましょう、とご奨励くださり、その話を聞いていた学生たちは、故郷の母のことを思い出して、祈りをささげました。今また今年は特に思い出しています。最後に皆で、讃美歌510番を賛美いたしました。
‘汝がために祈る母の、いつまで世にあらん、永久に悔ゆる日の来ぬ間に、とく神に帰れ。春は軒の雨秋は庭の露、母は涙乾くまなく祈ると知らずや’。
母は本当によく最後まで私たちのために祈り続けてくれたことに母の日を前に‘お母さん有難う’とお礼を言いたい気持ちでいっぱいです。
今年の母の日は、今まで一度もプレゼントなどしてくれなかった息子がサプライズのプレゼントをしてくれる、ということです。さてどのようなものが郵便局から届くのでしょう。
馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」