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今月のことば
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。
=ヨハネ15:5=
ぶとうの木は実をつけなければ何の役にも立ちません。預言者は言います。
「その木は何かを造るために用いられるか。また人はこれを用いて、器物を掛ける木釘を造るだろうか」と。
木は実を結ばねばなりません。そうでなければ燃やされます。ぶどうの木の枝で実を結ばないものは切られ、集めて火に投げ入れられます。
神を信じる人々は、この世にあって、実を結ばなければなりません。「あなたがたが実を豊かに結び、それによってわたしの父は栄光をお受けになるであろう」とイエスは言われます。
「実とは何でしようか」を考えてみましょう。イエスは何の実のことを言っておられるのでしょうか。それは、私たちの生命の中のすべては神に造られたものですから、神の力を離れては、何も出来ない存在です。
聖書は、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制」あると言います(ガラテヤ5:22~23)。
これらの実はキリストにある者に与えられるものです。私たちがキリストにあれば神の力は、私たちのうちに流れ注がれ、神のために実を造るのです。
また自分の「肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである」(5:19~21)。
私たちが求めるもの、神から求められているものは、神のみ旨・み心を持つことであります。そのための訓練を熱心に求めたいものです。
「心には静けさが満ちる」
御神の限りない愛に 包まれているから 包まれているから
牢獄にとじこめられても 心には静けさがみちる
御神の限りない愛に 包まれているから 包まれているから
拷問の鞭に打たれても 心には静けさがみちる
御神の限りない愛に 包まれているから 包まれているから
命をも奪い取られても 心には静けさがみちる
水野源三 第三詩集 「今あるは 神の恵み」より
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」