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ビルマ
戦犯者の獄中記 (41) 遠山良作 著
昭和22年
4月13日
-橋本氏ハンストに入る-・・・続き・・・
両者の対立は暫く続いたが私は遂に結論を得た。―中略―
二人は己を捨てて俺を生かそうとしている。だが私の苦悶は大きく友が思う程価値ある人間ではない。内地に帰ってもつまらないことしか出来ないかも知れん。自惚れるな、自己をよく知れ・・・。
かくして私は遂に断食を決意した。真っ先に知らせねばならない兄等には、反対されることを恐れて知らせなかった。そうして所長に「ハンスト」を宣言してから知らせて、反対しても仕方がないようにした。
かくて一人で始めた断食闘争の経過は次の通りである。
先ずゴロツキ(英人)が夕食の半減食の飯を持って来たので私は、「お前の出鱈目の報告で俺は処罰された。取り消さねば死ぬまで喰わんぞ」と言った。ゴロツキは紙を出して、もう一度言えという。「お前は嘘つきだ、俺の処罰は正当ではない」。
ゴロツキはペンで書くことを止めたので、「俺が書いてやるから、紙と鉛筆をよこせ」と言った。
ゴロツキは立ち去った。次に営兵司令が来た。私は食事を喰わぬことを言ったので、司令は印度兵の少尉を連れて再び来た。私は彼に印度語で「私はガンジーを非常に尊敬している。死ぬまで英兵と闘うのだ。そしてガンジーのようにハンガーストライキをする」と言った。
私の言動は狂人に見えたかも知れませんが、私の不十分な初歩的英語とゼスチャーを交えて話したが通じたらしい。彼は煙草を1本くれた。歩哨からは、今までのことを聞いて、好意的に手を振りながら立ち去った。
次に森通訳を連れて印度兵の准将が来た。彼とは争いたくない。通訳を通して今までの状況を話した。彼は「飯は喰わねば死ぬよ。喰った方が好いでしょう」と言う。平凡ではあるが、確かに真理であるが、私は死は覚悟していると言った。その時である。所長が来た。准将からくわしい話を聞いたが私にはひと言も言わずに無言で私を見詰めた。私は所長の眼には今まで気付かなかったが弱々しさと苦悶を感じた。
所長は「明日まで待ってくれ、明日は何とかするから今夜だけは飯を喰ってくれ」と言う。私は「今夜だけは所長の言葉に従いましょう。しかし私は決して命を惜しんで食べるのではないことを理解して頂きたい」。所長は再び明日の昼まで断食を中止してくれるようにと言った。所長は自殺防止のためか房内に入って見回りしたが形式だけである。
翌朝私は再び断食を始めた。昨夜の所長の言葉で私の気勢を殺ぐためだと考えたからです。所長が約束した13日の午後2時に処罰された吾々3人は再び事務所に呼ばれた。そこには英人の曹長1名のみいました。彼は中山通訳を介して、以下の如く申しました。
「昨日の懲罰は所長より取り消された。所長は休暇のため当分帰国するのでその間代理の所長が来る。その申し送りに懲罰者がいることは具合が悪いからである」。
斯くして私の断食の意義を失い相手が断食のことに触れぬ以上待遇問題を持ち出すことも出来なくなりました。
結局断食は何の効果もありませんでしたが、この事件によって自分は真の友情を知ることが出来、価値ある男の涙を知ることが出来ました。又自分の信念を試すことも出来たと喜んでおります。」 橋本幸男より
田室、遠山兄へ
斯くして4日間に亘る彼等との闘いに終止符を打った。
「註」 橋本氏は仏教系の大学を卒業後僧侶の職にあった。
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この文章の転載はご子息の許可を得ております。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」