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さんびか物語 (5)
(広く愛唱されている50曲)・・・4
ポ―リン・マカルピン著
(米国南長老教会婦人宣教師)
讃美歌56番 七日の旅路
<神様のみ言葉>
「これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう」。
=詩篇118編24節=
主の日の礼拝にふさわしい讃美歌56番“七日の旅路”の作詞者は、イギリス人のジョン・ニュートンであります。彼は1725年7月24日に船員を父とし、信仰深い婦人を母としてロンドンに生まれました。悲しいことに、彼は7歳の時によき導き手であった母を亡くし、その後ほとんど自力で歩まなければならなくなりました。
11歳の時に(先生や友だちにきらわれ、いじめられたために)学校をやめ、父とともに海に出て5回ほど、地中海を航海しました。そうして、自分の信仰の弱さのために、悪の仲間に入り、不道徳な書物の影響によって信仰を捨て、すっかり放蕩な生活に陥り堕落のどん底にまで落ちてしまいました。
ある時には奴隷売買人の下で死ぬほどの苦役にあったりいたしましたが、父の友人であった、ある船長に助けられ、1748年船長の船に乗せられ、ようやくその境遇から救い出されイギリスへ向かうことが出来ました。
ところが、この航海のある晩、船は暴風に書き込まれ、浸水して殆ど沈没するところでした。ニュートンは他の船員と一緒に朝の3時から昼頃まで、ポンプで水をかき出し、やっとのことで助かったのです。泳ぐことの出来ない彼にとってこの恐ろしい経験は、彼を悔い改めに導き、そして回心しました。しかし、まだまだ信仰には立ち返らず、それから6年間、奴隷船の船長をしていました。
しかし、神様の不思議なみ摂理によりまして、その最後の航海で素晴らしい信仰を持っていたクリスチャンの船長が彼の友人となり、キリストを自分の救い主として受け入れる信仰にまでニュートンを導いたのであります。
その結果、ニュートンは、古き人を捨てて、幼い時に母親によって教え導かれた神様のみもとに立ち戻ったのです。1754年にリバプールに上陸すると、当時の有力な伝道者であったホイットフイルドやウェスレーの指導を受け、へブル語やギリシャ語などを学び、牧会に入るために苦労したのであります。そうして10年後の1764年に、ケンブリッジの近くにあったオルニという小さな村の国教会の牧師に任命され、そこで彼は新しい仕事に力を注いだのでした。
彼のオルニでの16年間の牧会は、本当に優れたものでした。彼は定例の礼拝を守るだけでなく、木曜日に子供会を行なったり、大人のための夜の集まりを多く持ちました。この集まりでは、聖書研究の他に集まった大勢の人々に讃美歌をも教えました。当時、イギリスでは讃美歌はまだほとんどなかったために、ニュートン自身それを書くようになりました。
また、近所に住んでいた友人のウイリアム・カウパーにも書かせたりしました。このようにして出来上がったものを、1779年、この二人の作者は有名な“Olney Hymns”という讃美歌集を出版しました。
この讃美歌は、当時のイギリスに讃美歌によるリバイバルを起こすきっかけとなったそうです。ジョン・ニュートンの作品は56番のほかに1954年版の讃美歌には6つ含まれています。その中でも、一番有名なのが194番の“さかえにみちたる”であります。この讃美歌は、特に当時のリバイバル運動に、公の集会だけでなく個人の霊的成長に力を現し、彼の最高傑作と認められているそうです(194番、287番、325番、351番、401番、409番を参考にしてください)。
1789年、彼はロンドンに代わり、82歳で亡くなるまでの長い間、熱心に牧会を続けました。老齢のために視力が衰える時まで講壇に立ち、説教を続けました。彼の柔和と熱意と寛容は市民の多くに大きな感化を与えたそうです。神様のみ力によって180度の変化を経験したニュートンの神様に対する証しは、素晴らしいものであったと思います。
讃美歌56番の曲FAITHFUL GUIDEは弁護士であったアメリカ人、マーカス・モリス・ウエルズ(1815~1895)の作品であります。彼は1858年に彼の唯一の作品である“Holy Spirit,Faithfdul Guide”(聖なるみ霊、忠実な導き手よ)を作詞・作曲いたしました。
歌詞は非常に信仰的であり曲も歌いやすいものでありましたので、たちましアメリカでポピュラーになり今日でもゴスペルソング(福音聖歌)として広く歌われています。彼の原作がそのまま用いられ、日本語で歌われることも望ましいことと思います。勿論、56番の場合にはニュートンの素晴らしい歌詞によく合っていますから、ウエルズの旋律だけが使われています。
<56>
1 七日のたび路 やすけく過ぎて
みまえにつどい かしこみあおぐ
今日こそあめの 休みのしるし
1節では、過ぎ去った一週間の旅路を振り返り、心静かにかえりみるとき、神様の愛と導き給うたことを本当に感謝として知ることが出来ます。そうして、このお恵みに満たされて神様のみ前に集い、新たな恵みをいただかんとしている、と歌っています。また、この日こそは“あめの休みのしるし”であり、一週間での最もすぐれた日であると原作には記されています。
十戒にありますように、安息日を覚えて、これを聖なる日としなければなりません(出エジプト20:8~11)。神様の律法を守りみ声に従い、キリストの救いを信じる人のみが、この“あめの休み”に入ることができるということを決して忘れてはなりません。
「信じた私たちは安息にはいるのです」(へブル4:3)。
2 あがないぬしに よりていのれば
みいつくしみの み顔をむけて
つみとがゆるし やすきをたまえ
2節では、私たちは主イエス・キリストの十字架の贖いを信じて祈りますなら、神様は主イエス・キリストへの信仰の故に、私たちに対して慈しみと愛をもって、罪人である私たちにみ顔を向けて、罪、とが、けがれを赦して下さり、やすきをお与えくださる、と歌っています。このやすきこそ私たちにとって唯一のなくてならない宝であります。
“やすしや、罪の世にも やすし、主の血によりて”(讃美歌295番1節)
3 きよきこの日に みこえきかせて
さまようものを みちびきかえし
したがうたみを なぐさめたまえ。
3節ですが、日本語訳の3節と4節は原作の方では順序が逆になっています。しかしながら、この方が、ニュートンの伝道心を明らかにしているように思います。彼にとって“きよきこの日にみこえきかせて、さまようものをみちびきかえし”と歌っていますように、聖書にもとづいた正しい福音が、すべての教会の講壇から宣べ伝えられるようにと、私たちも祈り求めてまいりましょう。
立派な建物を建てたり、社会の色々な運動に参加する以上になさねばならないことは“さまようものを みちびきかえす”ということは教会を蔑ろにてはならないからです。この第一の、唯一の役目である伝道をおろそかに致しますなら、主イエス・キリストといういのちの源から離れていることになり、そのような教会は、いのちを失い枯れてしまう樹木と同じですから、この3節は味わい深いものと思います。
4 たかきめぐみを うたうわれらと
ともにいまして さかえをしめし
あまつうたげに つかしめたまえ。
4節はこの讃美歌のクライマックスと言えましょう。“あまつうたげにつかしめたまえ”とは、1節の“あめの休み”と関係があります。原作では、この“あまつうたげ”を天上にある教会というように言っています。天上にある教会に加えられるまで、私たちは声たからかに神様のみ名をほめたたえ、地上の教会につらなることこそ“あまつうたげにつかしめ”られる大切な条件であることを忘れてはなりません。その証しが主の日(日曜日)の礼拝につらなっていることであります。
=「さんびか物語」は「つのぶえ社」の出版(第一刷1974年、第二刷1992年)で、出版社の許可を得て掲載しています。本の購入を希望される方は、
「つのぶえ社」までご注文ください。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」