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その愛のゆえに
=時々の記=
(100)
6月17日
日本のサッカーのワールドカップブラジル大会初戦は残念でしたね。毎朝早くから息子がテレビ観戦しているのでこちらも影響され、4時には目を覚まして散歩に出かけています。息子は高校生の時、選手でしたからサッカーに関しては解説者級の力を持っています。部屋には、サッカー日本代表の着るユニホームが3枚(自分のひいきの選手)もかかっているのです。私から見ると無駄使いをして、と思うのですが、本人にとってはそれを眺めているだけで、モチベイションが上がってくるというのですから、ファンっていうのはこのようなものなのでしょう。
クラッシックバイクで集ふ老いの夏。
幻の如く吹かれてつばなの穂。
麦の穂のしなやかにして吹かれをり。
薔薇園を想はす庭の香りけり。
会堂に満つる光や聖五月。
母一人家を守りぬユキノシタ。(我が家の近くの家のこと) 馬場路哉。
主人は今年から
6月23日
こちらは梅雨の晴れ間でしたが、やはり蒸し暑さがありました。空ではホトトギスがとても美しい響きで声を出しています。姿はどうしても見られません。きっと人間にみられると危険なので木の枝の影から響かせているのでしょう。もう、6月も最後の週になりました。早いものですね。一年の半分が過ぎようとしています。昨日は退職された先生が88歳になられたお祝いの会に出席いたしました。とてもポジティブで毎日、趣味の書道、水墨画、パッチワークに励んでおられ、その作品を皆で鑑賞させてもらいました。生涯現役を貫かれているお姿に敬服いたしました。それぞれの生き方に哲学を持っているのでしょうが、でもやはりすべてご自分のためにされていることで、私としてはやはり、信仰を持っておられる方との違いを感じました。信仰を持っていると何時でもさほど変わりはないのですが、自分のためだけでなくやはり苦しんでいる人、困っている人に何らかの愛の手を差し伸べたい。そのような者でありたいと考えながら帰路につきました。
6月25日
万緑や一線走るハイウェイ。
干ばつの後の雨音響きけり。
伸びるだけ首を伸ばしぬカタツムリ。
鳥取の砂丘のらっきょ漬けにけり。
語るかに一つの蛍近づきぬ。 馬場路哉。
6月30日
今日で6月も終わりです。一年の半分が過ぎてしまいました。いったい何をしていたんだろうと時の過ぎゆく速さに焦りさえ感じるこの頃です。
文にあり今も夜明けのホトトギス。
軽快なピアノの音に緑さす。
黒々と強さを秘める樫落ち葉。
壁登りふわりと落つる毛虫かな。
アゲハチョウよぎれば直に失せにけり。
薄明や蛍袋の灯りをる。 馬場路哉
7月1日
毎日、サッカー漬けになっています。息子が隣の部屋でビデオに撮っておいて仕事から帰ると見続けます。時々、わあ~とか、よっシャ~とか叫び声が聞こえるので覗きに行くのです。私たちはBSで静かに見ています。この蒸し暑い中、90分走り続け、ゴールを決める。若さと訓練と精神力によってあのような技能が高められていくのですね。あとしばらくサッカー熱の勢いが我が家を占領しそうです。季節はいよいよ夏本番へと移り変わっていきます。お体が支えられますようにお祈りしています。
ひたすらに頭を垂るる梅雨の竹。
広場にてツバメの飛翔確かむる。
水無月や白を掲げる花多し。
この盆地囲める山に雲の峰。
玉の汗狙い定めてボール蹴る。
長き竿鮎を釣りをる広瀬かな。 馬場路哉
7月8日
6日の礼拝では信仰の友と語り合うことができ、ともに賛美し祈ることができて感謝でした。神様は私たちに多くの試練を通して、一層謙遜にさせ、神様にすべての思いを委ねきる信仰をお与えくださっているのだと感じるこの頃です。でも人間は弱いもので、試練に会うと、心揺れ動き、悲しみに暮れるものですが、悲しみ苦しみを通して、神様がともにいて励ましてくださることを確信しています。上野の友は同級生です。中学生の時に教会にお誘いして以来の友です。彼女はいつも冷静に事を処理できる方です。私は感情的な面ばかり持っていて彼女からは学ぶところ大きいです。幼馴染でもある友と祈り会えることはとても力づけられます。
馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」