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小閑記
心おののく者に言え、「強くあれ、恐れてはならない。見よ、あなた方の神は報復をもって臨み、神の報いをもってこられる。神は来て、あなたがたを救われる」と。 =イザヤ35:4=
信仰者でも弱い人間です。それを認めているのがキリスト者です。キリスト者が、心に恐れを抱き憂いにおののくのはどうしてかを知っています。それは、人生の困難な道を経験して、度々それに立ち向かわせ戦わせ、生きてきたからです。しかし、疲れ果て生きる力を失いかけるからです。どうしてか、そのような時に、予期しない出来事に、より心に不安と恐れに見舞われるのです。
そうして、真面目なキリスト者の心を最も不安にするのは、魂に罪の負わせる傷であり、霊の熱心をしばしば消そうとするかのような、冷酷な死の力であります。戦争のない日本にいては経験し難い、病いとは別の死の中に生きる死の力です。
また、キリストの十字架の贖いの恵みに与っているにもかかわらず、私たちの弱さを知る神は、今日も「強くあれ、恐れてはならない。見よ、あなた方の神は報復をもって臨み、神の報いをもってこられる。神は来て、あなたがたを救われる」と励ますのです。神様は、現実に恐れおののく者の心に語りかけているのです。全能の神が、愛と慰めの神が、真実「強くあれ、恐れてはならない。」と私たち一人一人に語るのです。
この約束は真実です。この約束は、主イエス・キリストによって果たされたのです。
「すべてあなたを攻めるために造られる武器は、その目的を達しない。すべてあなたに逆らって立って、訴える舌は、あなたに説き破られる。これが、主のしもべらの受けるべき嗣業であり、また彼らがわたしから受ける義である、と主は言われる。(イザヤ54:17)
上河原立雄
詩をつくり詩を発表する
詩をつくり詩を発表する
それもそれが主になったら浅ましいことだ
私はこれから詩のことは忘れたがいい
結局そこへ考えがゆくようでは駄目だ
イエスを信じ ひとりでに
イエスの信仰をとおして出たことばを人に伝えたらいい
それが詩であろう
詩でなかったら人にみせない迄だ 信仰詩集「貧しき信徒」八木重吉
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」