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今月のことば
わたしから離れては、あなたがたは何一つできない。
=ヨハネ15:5=
私には自由意志がある。自分で選択し、決定することが自立であり、大人の証明であると考えています。その通りです。自分の意思で職業も選べますし、結婚することも出来ますし、しない選択も出来ます。人それぞれの生き方をしておりますから、この冒頭のみ言葉に同意することは出来ないでしょう。
私たちは、神から離れても何ら不便を感じることなく、むしろ信仰という絆に縛られたくないという思いを持った人は多いのです。
しかし、私たちは何でも出来るのでしょうか。人それぞれが、自分には出来ると思うからこそ、自分の思い通りに相手を支配しようとするでしょうし、相手もそれを拒む時、諍いが起こり、戦いになるのです。
実は、私たちは、何も出来ない自分であることをこの神様のみ言葉が、鋭い刃のように心に突き刺さり迫ってくることを嫌うのです。
では、私たちは何が出来るでしょうか。心の貧しい人を愛せるでしょうか。悲しんでいる人を励ますことが出来るでしょうか。死に怯える人に希望を与えることが出来るでしょうか。自分自身の命を永らえることは出来るでしょうか。いと小さき物の命にどのような思いを持っているでしょうか。
野に咲く花に感動して、それを摘んで自分の好みのところに置き心は満足感で満ちるのです。私たちは綺麗な装いで着飾ります。しかし、心の汚れをどのように着飾るのでしょうか。私たちは、自分の汚れを隠す術を探り出す名人なのです。
しかし、私たちは何一つ出来ていない、出来ない存在なのです。人の目をごまかせても、神様に対しては無理なことです。大切なことは、「何一つ出来ない」自分を認め、そこから、「何一つ出来ない」者を、愛し、導いて下さる神に生きることを、日々に思うことを、新しい出発点にしようではありませんか。そのような決心こそ、私たちの誇りにしようではありませんか。「無・否」を認めるところに、希望があるのです。
大 漁
朝やけ小やけだ
大漁だ
大はいわしの
大漁だ。
はまは祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
いわしのとむらい
するだろう。 金子みすゞ
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」