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「ローマ人への手紙」研究 (116)
第65課 異邦人の召命とユダヤ人の拒否
9章1~11章36節(続)
F 神のユダヤ人拒否は最終的なものではない。何故なら、彼らの多くの者がキリストへ立ち帰るからである。
9章1~36節 (28)
「神は完全に、また絶対的に人間から自立しておられる」。
(11:34~35)
「だれが、主の心を知っていたか。だれが、主の計画にあずかったか。また、だれが、まず主に与えて、その報いを受けるであろうか」。
11:34~35(3)
「第一に、真理の全体をとらえるために、カルヴァン主義とアルミニウス主義の双方は結合されて相互に補い合うべき理想体系であると見るのは、全く愚かなことです。この両者間の論争の歴史についていくらかでも知識のある人ならば、この二つはその相違点のすべてにおいて、相互に全く相いれない体系であることを知っているのです。
16世紀の始め、レモンストラントと呼ばれるオランダのアルミニウス主義者たちが、オランダ教会の信条を5か条に関して疑義を表明して文書を発表しました。これに端を発して論争が起こり、それに決着をつけるために特別に大会が開催されました。それが1618~19年に開かれたドルト会議でした。ドルト会議はアルミニウス主義の5つの論点を定罪して、真理を述べた5か条を採択したのです。ドルト会議の5か条はアルミニウス主義の5つの論点と相補関係にあるどころか、相容れないものなのです。カルヴィン主義とアルミニウス主義とは同じ絵の両面であるなどと言う論は途方もない誤りなのです。
第二に、カルヴィにズムとアルミニウス主義との相違点は、前者は神の主権性を信じており、後者は人間の自由・責任を信じているということではなく、真の相違は、前者は神の主権性と人間の自由と・責任の両方を完全に信じているのであり、しかも、この二つを合理的に調和させようとしていないのに対して、アルミニウス主義はこのパラドックスを調和させなければならないとし、人間の自由・責任に執着して、神の主権を否定するのです。
本当の相違はこのパラドックスに対する両者の態度にあるのです。アルミニウス主義はこのパラドックスに合理主義的な姿勢で接して、どうしてもそれは解決されなければならないとします。このことは神の主権性の否定を含むことになり、従って、自分の意思で悔い改め、キリストを信じるに至ることを予知される者を、神はお選びになるのだとするのです。一方、カルヴィニズムは、このパラドックスに対して畏れと敬虔をもって接し、それは主なる神に属する奥義であって、私たちはこれを解明する必要はないのだとするのです。私たちは充分に調和させることができないこれらの二つの真理の両方について、聖書が教えるところに忠実でありさえすればよいのです。
J.G.ヴォス著
玉木 鎮訳
(日本キリスト改革派引退教師)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」