[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ビルマ
戦犯者の獄中記 (42) 遠山良作 著
昭和22年
4月15日
― 橋本氏ハンストに入る ―・・・続き・・・
大湖通訳より、外部からの差し入れがあった。そして、タバコの差し入れがあった。差し入れ人名には後藤一省とある。思いもよらない故郷の親戚の方である。彼がビルマ戦線に来ていることは、母よりの手紙で知っていたが、帰還船を待ってこの「ラングーン」「アロンキャンプ」にいることは驚きであり、また、喜びである。この刑務所から出所した友から私のことを聞いて、このタバコを差し入れてくれたことと思う。苛烈なビルマの戦場にあってよく生きてこられたものだと思う。
私は現在の心境と現状を書いて、家に届けてもらうべく依頼した。その内容の一部は ―中略― 私は昨年第一回目の裁判で6年の刑を宣告され、服役中であります。この手紙を後藤一省兄に依頼してお届けいたしますから、詳しいことは兄から聞いて下さい。
次に第二回目のケースとして、終戦直前に、敵の間喋容疑者を逮捕し拘留中に病気で死亡した事件で起訴されています。この戦犯裁判は形式的裁判でその実は政策であり、私たちの証言は一切採用されないのが今までの例であります。若し起訴されて、ケースが拷問致死であるとの判決があるならば、死は免れないと思います。しかし最後まで希望を棄てずに、正々堂々と日本人として恥ずかしからぬ態度で臨むつもりです。
神様が死ねとお命じなるなら死ぬでしょう。生きよとお命じなるなら生きるでしょう。全ては神様にお任せ致します。神とは、伊藤庄太郎先生(注・元大井教会牧師)より送って頂いた聖書の神であり、天地を創造された神、そして今も生きて働いて全てのものを御支配下さる本当の神様のことであります。
神様に全てをお任せしているとはいえ、この刑務所こそ私に相応しい死に場所かも知れません。今は聖書を唯一の読み物として、夜は祈りの時間にしています。敗戦、そして監獄での一カ年有余の生活は、私を人間的にも、正しく生きる道を教えてくれた、尊い修練の場でもありました。今は鉄窓さえ愛の窓であると思っております。
親は子供が戦犯の刑に問われて獄中にあることを聞いていたら、悲しみ、嘆かれることだと思います。しかし、戦犯者とは一般社会でいう罪人とは違って、連合軍の「ポツダム」宣言を日本政府は受け入れました。その義務を履行する者が戦犯者であります。
敗戦で苦しむ日本国民は、今こそ過去を反省し、目覚めなければなりません。全ては神が与え給うた試練であることを、率直に受け入れ、敗戦による苦しみを無駄にしてはなりません。これに逆らう時、日本は滅亡の道を辿るでしょう。
また、この戦いで多くの人々が死んで逝きました。この死も決して無にしてはなりません。今は、誰もが流さなければならない涙こそ尊く、その涙の中に光る希望こそ新しい日本の発見です。
今、私は何も言うことはありませんが、ただ神の愛を信じ、祖国の行く末が永遠に平和であることを祈るのみです。 以上
両親へ
***********
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」