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解説 ウエストミンスター信仰告白 (28)
岡田 稔著
(元神戸改革派神学校校長)
第14章 救拯的信仰について・・・1・・・
1 選ばれた者が、それによって、自分の魂が救われるように信じることができる信仰の恵みは(1)、彼らの心の中で働くキリストのみたまのみわざであって(2)、通常、み言葉の宣教によって生み出されるものであり(3)、み言葉の宣教と礼典の執行と祈りとによって増進され、強化される(4)。
1 ヘブル10:39
2 Ⅱコリント4:13、エペソ1:17-19、エペソ2:8
3 ローマ10:14,17
4 Ⅰペトロ2:2、行伝20:32、ローマ4:11、ルカ17:5、ローマ1:16,17
一 信仰という言葉には広い意味と狭い意味とがあるが、信仰によって義とされる、というときの信仰を、特に「救拯的信仰」つまり「救いの信仰」と呼んでいる。この意味の信仰は、新生の直接的な実である。
第10章で、学んだ「有効召命」によって自覚させられた「新しいわたし」の「わたしを呼ばれた神の招きのみ声」への答えとも言える。だからこれは自分から「信じようとする意志」ではなく、キリストのみ霊の「信じさせる」み業である。
同時に、この信仰は単にひそかなみ霊の働きによってだけ生じるのではなく、「み言葉の宣教」、すなわち、外的召命、つまり福音を聞くことによって生じるのである。これはローマ人への手紙10章14節で言われていることからも明らかである。
み言葉(それは福音と律法から成る)が、恵みの手段としてキリストに用いられるときに、み霊の働きによって生じた有効召命と協働して、ここに「信仰」と呼ばれる状態が存在するようになるのである。この信仰は「からし種一粒ほど」のものから「大いなる信仰」と呼ばれるものまで、強弱の差があり、「信仰に始まり信仰に至らせる」(ローマ1:17)とある通り、信仰生活とは、この信仰の向上強化の道程であり、その増進は、み言葉と礼典と祈りを通常の外的手段として与えられるものである。
これら三つのものが、「恵みの手段」と呼ばれるものであり、厳密にはみ言葉のみがそれに当たるが、礼典もまたみ言葉とともに用いられて、その効力をあらわすのであり、祈りだけでなく、苦難もある意味では、恵みの手段のうちに数えられる。
また教会というもの全体をも、そのように考えることもできなくはない。しかし、一般には、み言葉と礼典を通常の外的な恵みの手段と呼ぶのである。
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この文章は月刊「つのぶえ」紙に1951年(昭和26)10月号から1954年(昭和29)12月号まで書き綴ったものを単行本にしたものです。「つのぶえジャーナル」掲載には、つのぶえ社から許可を得ています。「ウエストミンスター信仰告白」は日本基督改革派教会出版委員会編を使用。
単行本購入希望者は「つのぶえ社」に、ご注文下さい。¥500
465-0065
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
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「緑のまきば」
「聖霊とその働き」