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小閑記
悲しんでいる人たちは、幸いである。
彼らは慰められるであろう。
=マタイ5:4=
人は貧しさよりも豊かさを求めます。貧しさを知っている人こそ、豊かさを熱望します。食物、衣服、その他日用の糧に属するすべてのもについて、事欠くより、豊かさを求めます。格差社会は人類社会の現実です。日用の糧とそれに伴う貧しさは不平や不満、心配の種でしょう。「働けど、働けど、わが暮らし楽にならず」に陥る時、生きる気力、働く意欲を削ぐものです。
イエスは弟子たちに言われました。「何を食べようか、何を飲もう可、何を着ようか、と思いわずらうな。これらのものは、異邦人がせつに求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。何よりもまず神の国と義を求めなさい」と。
では、キリスト者ばかりでなく、すべての人の悲しみは何でしょうか。日本人の倫理観では理解しにくい「罪」とそこから出てくる、心の醜さ、悲しみでありま
ます。また、救いのためになして下さった主イエス・キリストに対しての、感謝の思いの少ないことも事実です。しかし、私たちは、悲しみに留まるべきではありません。
聖書は、持っているだけの書物ではありません。読み、考え、そして、神の愛と救いを知る書物です。私たちの生活に神様のみ霊とみ力がもたらす道しるべです。
人は神なくしても生きると思っています。生きるでしょう。しかし,真の幸いを知らずに生きているとするなら、何とむなしい人生ではないでしょうか。
上河原立雄
=十字架の主を仰ぐ者よ=
十字架の主を仰ぐ者よ 主にあって喜べよ
主にあって感謝せよ 主にあって歌えよ
十字架の主を仰ぐ者よ 主にあって考えよ
主にあって決断せよ 主にあって歩めよ
主の十字架を仰ぐ者よ 主にあって心から
主にあって決心せよ 主にあって愛せよ
=水野源三作 「今あるは神の恵み」より
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」