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世田谷通信
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猫 草
百科事典といえば、どんなイメージをお持ちだろうか。一昔前はセールスマンが家に売りにきたもの?或いは重厚な応接室の本棚に並ぶお飾り・・という時代もあったのだろうが、最近の進化ぶりは目をみはるものがある。とにかく写真が綺麗で迫力がある。DVD付のものがぐっと増えた。ライバルはインターネットである。パソコンでは、手軽に最新の情報や大量の画像、動画をみることができる。ただし、玉石混交だし、系統だっていない。体系的な知識を得たいと思ったら百科事典は知識の宝庫。というわけで、学校の図書室には何セットか常備しているのである。でも時々買い換えないと内容が古くなるので、少しずつ予算を組んで入れ替えている。
図書室まで行く時間が無いが、教室でちょっと調べものに使いたいとの先生方からの声もあり、各教室にはポケットサイズの百科事典を数冊配備している。各教室にネットにつながったパソコンが1台あれば随分いろんなことが簡単になるだろうに・・とは思うが、この情報化社会の中にあって、今のところ公立小学校は相変わらず、昔ながらの黒板と紙で運営されているのである。
国語辞典や漢和辞典も本屋に行くとずらりと何種類もの種類があり、一体どう違うの?と悩んでしまうが、小学校の学年によって見出し語の数や文字の大きさ、内容を吟味しながらのセレクトとなる。図書予算との兼ね合いで、低学年、中学年、高学年それぞれを2クラスずつそろえて図書室前に置いている。
そして、古くなった百科事典。これがまたもったいなくて簡単には捨てられない。手書きの精密な挿絵には写真で真似できない迫力がある。例えば大きな建築物などを斜めに切断したアングルでの構造図や展開図や味のあるイラスト等。そのまま捨ててしまうにしのびなく、図工の先生に資料としてお渡しし、作品の構想を練ったりするときの参考にしていただく。もう捨てる本なので、絵の具がついて汚れても構わないという前提だ。
何でもスマホやパソコンで手軽に調べて、その場だけ分かったつもりになってしまうのだが、辞典や辞書も無くしたくない資産だと思う。編纂するという言葉があるが、本当に「編む」というのがぴったりするような、吟味と検討と熟考と推敲の結晶なのだから。流れている大量の情報をしばしつなぎとめつつ、時々放流しつつ。図書室って川の中州のような場所だなあ・・と思うのである。
*この添付のイラストは絵を描くのが大好きな次男がパソコンのペイントツールで描いたものです。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」