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「ローマ人への手紙」研究 (120)
第67課 キリスト者生活の実践的義務
=12:1~15:13=・・・3・・・
A 個人の生活上の聖潔を養う義務
12:1~21・・・3・・・
「神への聖別」・・12:1
聖さと言うことは、人格や生活のすべての個々の特質を含むものです。聖さと言うことは決して抽象的なことではなく、分離されるようなものではありません。聖さは柔和、親切、熱心、その他のことと同列に置かれることでなく、むしろ、それらのものを全て含むのです。それらはキリスト者の生活における聖さから出てくる果実なのです。
聖さということは、神への聖別、奉仕、礼拝なのです。これこそ「霊的な礼拝」なのです。神が私たちに「なすべき」こととして期待しておられるのは正にこれなのです。
聖さということが、12:21で要約されていることがわかります。「悪にまけてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい」。この世界における悪というものは、決して想像の産物ではなく、実在のものなのです。それは強力なのですが、私たちはそれに直面しなくてはなりません。私たちは食うか食われるかなのです。悪に負けるか、善をもって勝つかです。私たちには中立はあり得ないのです。悪との戦いにおいて戦わないでいることは出来ないのです。私たちが悪に戦いを挑まねば、悪が私たちを征服するのです。しかし、神の恵みによって、私たちは悪に対して戦いをなし、善をもって悪に勝利を得ることが出来るのです。
聖さと言うことは、それのみを私たちが所有しうるような抽象的なものではなく、この章の中で見るような具体的なキリスト教的徳目の形を取るのです。聖さとは神への完全な献身であり、善をもって悪に打ち勝って行くことなのです。聖さは柔和・寛容・熱心などとなって発現します。もし私たちがこれらの徳目を欠くならば、キリスト者の聖さを持っていないのです。
J.G.ヴォス著
玉木 鎮訳(日本キリスト改革派引退教師)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」