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ビルマ
戦犯者の獄中記 (46) 遠山良作 著
昭和22年
6月18日
―検査―
朝食が終わり、全員(死刑者を除き)運動に出してくれた。雨季に入っているので、空はどんよりと曇っている。みんなラジオ体操をしていると、所長が巡視に来たが、私たちは体操を続けていた。各房にかけてある名札を見ながら西側から東へと歩いて来た。そして私の房の前で足を止めたと思うと房の中に入って行った。所長について来た英兵が私の名を呼びに来たので体操をやめて房の中に戻った。所長は私の房の中にある、13個の「レーション」(英兵の携帯食料)を指差して「これはどうしたのか」と尋ねた。
この「レーション」は東大尉が第二回目のタキン事件で起訴され西独房に移される日に、インセン刑務所(ビルマ人の監獄)に移されてから一年近くになる5名(カラゴン事件関係)とは全く連絡がないのでどんな生活をしているかも判らないが、「レーション」など支給されていないと思い、激励と慰問の目的でこの独房にいる全員から半分ずつ持ち寄り「インセン」刑務所に送る許可を刑務所側と交渉中であった。それまで保管するように依頼された品である。
そのことを通訳を通して説明したが、所長は「インセン」刑務所に送ることは認めぬ、お前たちが食べなければ取り上げる。今後も支給しないと激しい言葉で言った。
私は「この品は私個人のものではない。インセンに送ることがいけないのなら、出してくれた人たちに返却するから取り上げることだけはしないでくれ」と何回も頼んだので取り上げられることだけは許してくれた。今度は私の持ち物の検査である。50本入りの缶入り煙草と歯ブラシがあった。友たちが差し入れてくれた品物である。封も切らずに大切にしていたが、所長は支給品以外の品は所持してはならないと言って取り上げてしまった。再三返却をしてくれるように頼んだが無駄であった。隠して置いたペンも、鉛筆も発見されて取り上げられてしまった。
今まで何度も房の検査があったが、筆記具、日記等は破れた壁の間とか便器の下などに隠しておいたので何とか発見されずに過ごして来たが、今日は運動中であったので油断をしていた。書いた日記などはみな取り上げられてしまった。
所長はその時は私の房のみ検査をして帰って行ったが、しばらくしてから衛兵4人がきて両側から各房の検査を始めた。寝具、食器、水筒、衣類を除いて全部外に出すように命じた。私はトイレットペーパー、ローソク、日記、煙草7個(友よりの差し入れ品、)を押収された。
午後になって所長は英兵を連れて三度検査に来た。毛布と衣類、食器を除いてみんな取り上げられた。
独房とはいえ一年以上生活していると、住居と少しも変わらず、掃除をするために雑巾や、洗面や食器を洗うための用器(缶)等はどうしても必要な品である。今日から日記も書けないと思うと情けなくなる。煙草は一週間に二個(十本入り)支給してくれるのに何故取り上げるのかその理由が判らない。
監視する側から見れば、自殺や逃亡のために使われるものは危険物として押収するのが当然であろうが、支給した煙草までも検査だといって取り上げるのである。ある友の話によれば「英兵たちも煙草の配給が少なくて不自由をしている」と聞いたが、本当かも知れない。病院から退院して来た者たちの私物を検査しては煙草を取り上げるという話を聞いたことがあるが、勝手な検査である。
我が書きし 日記便器に 隠せしを 気付かず英兵は 房を出て行く
「註」 「レーション」アメリカ製品で一個が英兵の一食分である。われわれには一日分として食事の代わりに支給してくれるが、内容はチョコレート、乾パンなどが入っているが量が少ないので空腹な食事である。
*この文章の転載はご子息の許可を得ております。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」