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さんびか物語・・・10・・・
(広く愛唱されている50曲)・・・9
ポ―リン・マカルピン著
(米国南長老教会婦人宣教師)
讃美歌109番
きよしこの夜
<神様のみ言葉>
「イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました』」。
=マタイの福音書2章1~2節=
新教と旧教にはいろいろな点で大きな相違がありますが、一つの非常に目立っ点は、讃美歌の用い方であります。たとえば、新教信徒は、神様を崇め、ほめたたえるために、当然のように礼拝でいつも多くの讃美歌を歌っています。声をあわせて神に栄光をきすのは礼拝の大切な部分であり、要点と思っているからであります。
これに反して、カトリック教会では14世紀間にわたって、つい最近に至るまでミサでは絶対に讃美歌は許されませんでした。ローマ教会の会衆はただ決められたラテン語の言葉を繰り返すだけで、プロテスタント教会の会衆のように礼拝に参加するだけでなく、傍観者(オブザーバー)的でした。しかし彼らの内にも自分たちの歌をもって心から神様を讃美しようとする作詞者や作曲者が、わずかですが生まれてきました。特に、音楽好きなドイツやオーストリアでは、泉が湧き出るように自然に讃美歌が湧いてきました。こうして、いくつかのカトリック讃美歌も現れてきたのであります。
幸いにして、1954年版の讃美歌には、それらの中でも一番有名な作品が二つ含まれています。その一つは1677年に作詞された166番の‘イエス君はいとうるわし’であり、いま一つは、世界中で一番よく知られ、歌われているクリスマス・キャロル‘Stille Nacht,Heilige Nacht’(静けき夜、聖き夜)、109番の ‘きよしこの夜’であります。
この最も有名なクリスマス・キャロルの原作者ヨーゼフ・モールは1792年12月11日にオーストリアのザルツブルグに生まれました。ヨーゼフは成人して1815年にローマ教会の聖職となり、ザルツブルグ付近のいくつかの教会を歴任しました。ちょうど、このキャロルを作詞した頃、モールはザルツブルグの北にあるオーベルンドルフという小さな村の聖ニコラス教会の副牧師として勤めていました。
さて、この109番が作られた時の様子ですが、1818年のクリスマス・イブでした。次の日の礼拝で使うはずのオルガンの急な故障にモールは途方にくれてしまいました。友人たちの家でのクリスマスパーテーの帰りに、モールは村の近くの丘に登って、美しく輝く夜空の星を眺め、麓に眠っているように見える平和で穏やかな村の景色をのぞみながら、乱れる心を静めようとしていました。ちょうどその時に浮かんできだのが、この‘Stille Nacht’の原作でした。モールは急いで家に帰りクリスマスの朝の4時頃までにこの歌詞を書き上げたそうです。そうして、同じ日の朝早く、友人のフランツ・グル―バーのところに持って行って、彼に曲を書くように頼みました。
作曲者グル―バーは、当時、隣りの村のアールンスドルフの小学校の先生であり、聖ニコラス教会のオルガニストとして奉仕していたからであります。彼はモールの依頼を引き受けて、間もなくSTILLE NACHTという曲をモールのところに持ってきました。そして、その夜のクリスマス礼拝でモールはテナー、グル―バーはバスとギターの伴奏の二重唱で世界で初めて紹介されました。当時、もしテープレコーダーがありましたなら、素晴らしい録音ができたと思いますが、残念ですね!しかし、今も私たちは歌うことが出来ますから感謝いたしましょう。
ともあれ、このキャロルはその後、多くの人々に歌われましたが、1840年にツィルラータールのカルテットによって、ヨーロッパからアメリカまでの演奏旅行で発表され世界的になりました。
歌を90曲以上も作曲したグル―バー(1787~1863)は、織物業者の息子としてオーストリアで生まれました。彼は18歳の頃からオルガンを学び、いろいろな教会のオルガニストとして奉仕しました。彼は小学校の教師でありまして、1833年以降オーベルンドルフの小学校の校長になりました。曲STILLE NACHTはグル―バーの一番よく知られている曲であります。
<109>
1 きよしこのよる 星はひかり
すくいのみ子は まぶねの中に
ねむりたもう いとやすく。
この讃美歌を原作のままドイツ語で歌うことができますなら、どんなに素晴しいことでしょう。英語訳や日本語訳では味わえない喜びがあると思います。
1節で中心になっていますのは、ベツレヘムの馬小屋の飼葉おけに眠っておられる救いのみ子であります。この赤ん坊―神のみ子―は、なぜまぶねの中に寝かされていなければならなかったのでしょう?
記者ルカは「・・・宿屋には彼らのいる場所がなかったからである」(ルカ2:7)と言っています。「定めの時が来て、神はご自分の御子をこの世にお遣わしになり、女から生まれさせ」(ガラテヤ4:4)、「ご自分の国に、また、ご自分の民にお送りになったにもかかわらず、その民はイエス・キリストを始めから受け入れなかった」(ヨハネ1:11)のであります。
では神様は、なぜみ子をこのような無頓着で邪悪なこの世にお送りになったのでしようか?それは「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ3:16)からであります。「世が救われるためである」(17)と、その理由が述べられています。
「救い」とは、十字架をさしています。私たち罪人がかかるべき十字架を、主イエス・キリスト(救い主)は、あなたと私のために身代わりとして、贖いの死をとげられましたが、その救いの恵みを指し示しています。あなたにとって、この救いのみ子を心に受け入れるか否かは、緊急な問題です。
1節にある‘星’は、もちろん東方の博士たちをベツレヘムへと導いた、あの素晴らしい星を意味しているでしょう。彼らが、遠くからその星に従ってやって来た理由は、王を拝み、また、ふさわしい贈り物を王に捧げるためでありました。ですから、クリスマスは王の王の誕生日なのです。あなたは、王の王に何を差し上げますか?主イエス・キリストがご要求なさっておられるものが一つあります。それは、あなたご自身です。ただそれだけです!
2 きよしこのよる み告げうけし
まきびとたちは み子の御前に
ぬかずきぬ かしこみて。
2節で中心になっていることは、天使からのみ告げを受けた羊飼いたちの、驚きと喜び、そして、み子のみ前での場面までを歌い上げています。 ルカの福音書2章15節~18節と20節には次のように記されています。「御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。『さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう』。そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごを捜し当てた。それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。・・・羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、讃美しながら帰って行った」。
私たちはこの羊飼いたちの行為を学ばなければなりません。神様のお招きのみ声に従わねばなりません。教会の中にまで足を運んで、神様を崇める者の姿を見てください。み言葉をお聞ききください。聖書を手にして読んでみてください。そしてそれが本当であり、まことであると信じ受け入れますなら、あなたの友人、肉親、周りの人に、このいのちのおとずれを告げ知らせてください。これこそがクリスマスであります。
3 きよしこのよる み子の笑みに、
めぐみのみ代の あしたのひかり
かがやけり ほほがらかに。
3節ですが、原作の方が意味がはっきりしています。ここで作詞者が中心にしていますことは、主イエス・キリストのご降誕によって、救いと恵みの時代がスタートしたことを歌っています。ですから、救い主のご誕生と言うことは、人類の歴史にとって大変なことなのです。罪人なる私たち、滅びゆく者にとりまして主イエス・キリストがお生まれになられたということは、本当に恵みと救いの時代を迎えた希望と、たしかさが与えられたということです。
しかし、問題は、あなたがそれを信じるかどうか、白紙になって神様が提供してくださる恵み、救いを受け入れるかどうか、というところにあります。‘あしたのひかり’を本当に見たいとお望みなら、今日、今、キリストの救いの恵みをいただいてください。
「確かに、今は恵みの時、今は救いの日です」。
~コリント人への手紙第二、6章2節~
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この「さんびか物語」は「つのぶえ社」の出版(第一刷1974年、第二刷1992年)で、出版社の許可を得て掲載しています。本の購入を希望される方は、「つのぶえ社」までご注文ください=
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」