[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
解説 ウエストミンスター信仰告白 (31)
岡田 稔著
(元神戸改革派神学校校長)
第15章 命に至る悔い改めについて・・2・・
3 罪のための償いまたは罪のゆるしの原因は、キリストにある神の自由な恵みの行為であるから(1)、悔改めが、何かそのようなものであるかのように信頼されてはならないが(2)、それはすべての罪人にとって必要なものであって、だれも悔い改めないならば、ゆるしを期待することはできない(3)。
1 ホセア14:2,4(3,5)、ロマ3:24、エペソ1:7
2 エゼキエル36:31,32、エゼキエル16:61-63
3 ルカ13:3,5、行伝17:30,31
三 ここでは三つの誤解が否定されている。1、悔い改めを罪の償いの手段と見る誤解。2、悔い改めたから赦してもらえるという誤解。3、もう赦されているから、悔い改める必要はないという誤解である。
4 永久刑罰に価しないほど小さな罪がないように(1)、真に悔い改めている者にも永久刑罰をきたらせることができるほど大きな罪はない(2)。
1 ロマ6:23、 ロマ5:12、マタイ12:36
2 イザヤ55:7、ロマ8:1、イザヤ1:16,18
四 神は義なるお方であられるために、わずかな罪をも見逃さないとともに、恵み深いお方でもあられるために、悔い改めた者を赦してくださるから、決して罪に定めたまわないのである。
もちろん、まことの悔い改めが罪を取り消してくださる(罪を赦してくださる)理由となるものではない。罪の赦しの理由は、キリストの贖罪ととりなしによるのであり、それに基づいて、わたしたち信ずる者に無償に提供されている恵みなのである。まことの悔い改めは、この恵みに浴した者であるわたしたちが、神のわたしたちに対する、そのあわれみの確信に立脚して、自己の罪と汚れを自覚し、悲しみ、憎むとともに、神の性質と律法とに従おうとする、こころざしを起こすことに外ならない。だから、すでにこの悔い改めに生きるわたしたちが、悔い改めたにもかかわらず、なおも罪に定められるというわけではないのである。
*******
この文章は月刊「つのぶえ」紙に1951年(昭和26)10月号から1954年(昭和29)12月号まで書き綴ったものを単行本にしたものです。「つのぶえジャーナル」掲載には、つのぶえ社から許可を得ています。「ウエストミンスター信仰告白」は日本基督改革派教会出版委員会編を使用。
単行本購入希望者は「つのぶえ社」に、ご注文下さい。¥500
465-0065
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」