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「ローマ人への手紙」研究 (121)
第67課 キリスト者生活の実践的義務
=12:1~15:13=・・・4・・・
A 個人の生活上の聖潔を養う義務
12:1~21・・・4・・・
「聖潔の根源」・・12:2
12;2は聖潔の根源についての秘訣を教えています。第一に、この世にならうことによって、聖潔を得るのではありません。(and be not conformed to this world)「この世にならうものとなってはいけない」「この世と調子を合わせてはいけません」。実際において、この世の性格、すなわち世の人々、キリストによって救われていない人々の性格は、この章に述べられているキリスト信者の性格の正反対であります。この世の性格は不潔、自己中心、傲慢、不親切、その他であります。
キリスト者たちが、間違っていると知っていたり、有罪であるとする事柄を、この世の人たちは正当であると考えるのです。例えば、主の日の聖別ということを例に取っても分かることであります。キリスト者が正当と考え義務と考えることを、世の人たちは愚かでばかばかしいことと見ます。例えば、敵を愛するということは、キリスト者の義務であります。しかし世はそれを愚かなことであると見なすのです。私たちは世にならったり、世の標準に従って、それに甘んじたりすることによって、聖潔を獲得するのではありません。
もし私たちが善悪についてのこの世の標準を受け入れるならば、神に対して罪を犯すのであり、私たち自身を傷つけることになるのです。行為と良心の問題について、世は大きく誤っているのです。もし私たちがこの世に従うならば、神の不興と正義の裁きを受ける危険にさらされているのです。宗教と道徳の問題について、大多数の意見に従うならは、それは正しいことでも安全なことでもないのです。
2節は更に進んで、私たちがどうすれば聖潔を獲得することが出来かを示します。この世にならうことによってではなく、心を新たにする、自己を一新することによって、それは可能となるのです。しかし、これはどういうことなのでしょうか。それは次のように理解することが出来るでしょう。「あなたの生活をこの世の仕方にならわせないで、新しい心を与えられることによって、あなたの人格と生活を一新しなさい。そうすれば神の御旨に従って生活を送ることが出来るようになるでしょう。
「あなたがたの心を新たにする」、すなわち、「新しい心を持つこと」とは、新生、新たに生まれかわることと同じことです。心の一新ということは、一回的なことではなく、生涯を貫いて継続することです。それは新生に始まり、キリスト者の生涯を通じて継続することです。新生は人の一新に始まりであり、聖化は人間の心の一新の継続です。生物の生涯と同じように、キリスト者の生涯も新生または再生に始まり、成長がそれに続くのです。
J.G.ヴォス著
玉木 鎮訳(日本キリスト改革派引退教師)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」