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解説 ウエストミンスター信仰告白 (32)
岡田 稔著
(元神戸改革派神学校校長)
第15章 命に至る悔い改めについて・・3・・
5 人は、一般的な悔改めで満足すべきでなくて、自分の個々の罪を個別的に悔い改めるように努力することが、各人の義務である(1)。
1 詩19:14(13)、ルカ19:8、Ⅰテモテ1:13,15
五 罪とは、原罪、すなわち性質の腐敗と現行罪とを含むものであるから、悔い改めもまた両者を含む悔い改めでなければならないのである。ここで特殊な罪をそれぞれに反省するとき、原罪を除外して、現行罪を具体的に反省するように、との意味にもとれるが、原罪が洗礼ですでに赦されたというような考えは誤っている。
それは聖化論で明らかにしたとおりである。わたしたちは漠然とした「悔い改め」ではなく、常に自己の性質の腐敗と腐敗した行為とをよく反省・点検することによって、深く悔い改めなければならない。もちろん自己の性質が自己の反省で改変されるわけではない。また原罪が残っている限り、わたしたちの行為が純正となることは不可能である。けれども、神がわたしたちに悔い改めを求めておられる以上、それはわたしたちの義務なのである。
6 各人は、自分の罪のゆるしを祈りつつ、神に対しそれを私的に告白すべきであり(1)、その上その罪を捨てることによってあわれみを得る(2)。だから自分の兄弟やキリストの教会をつまずかせた者は、自分の罪を私的または公的に告白し、またそれを悲しむことにより、被害者に対して自分の悔改めを進んで表明すべきである(3)。これによって被害者は、彼と和解し、愛において彼を受けるべきである(4)。
1 詩51:4,5,7,9,14(6,7,9,11,16)、詩32:5,6
2 箴28:13、Ⅰヨハネ1:9
3 ヤコブ5:16、ルカ17:3,4、ヨシュア7:19、詩51編
4 Ⅱコリント2:8
六 ここでは、神に対する懺悔のみでなく、公的私的な人間の間での悪事に対する形に現れた過去の懺悔の必要と、それによる和解がすすめられている。特に教会の秩序にための正規の手続きを遵守しなければならない(戒規、訓練規定の忠実な実施の重要性)。
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この文章は月刊「つのぶえ」紙に1951年(昭和26)10月号から1954年(昭和29)12月号まで書き綴ったものを単行本にしたものです。「つのぶえジャーナル」掲載には、つのぶえ社から許可を得ています。「ウエストミンスター信仰告白」は日本基督改革派教会出版委員会編を使用。
単行本購入希望者は「つのぶえ社」に、ご注文下さい。¥500
465-0065
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」