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その愛のゆえに
=時々の記=
(106)
12月13日
本日一週間ぶりにパソコンをあける気持ちになりました。すると、お心こもれるお祈りのメールが毎日長村さんから私のところへ届いていました。苦しい肺炎との戦いでしたが、また神様はこの経験を通して多くの方の暖かい祈りによって私が支えられていることに気づかせてくださいました。来週月曜日(15日)にもう一度レントゲンを撮ります。先生は肺炎になるとそう簡単に影が消えないのですよ。ですからまだ影が残っていたとしても。余りがっかりされないようにとのことでした。診療所は残念なことに田舎ですから常駐の医師は義母がやめて以来誰も来てくれません。しかも診療してくださる曜日は週に三日だけです。月曜日、水曜日、金曜日だけです。とても不便ですがやはり近いので高齢者は利用しています。私の場合は毎日点滴治療が必要でしたので、特別この三日以外にも先生は見てくださいました。有難かったです。診療所までは歩いて5分で行けます。私はもう少し、健康に十分配慮してこれからは生活していきます。深く反省しています。
12月17日
寒さが一段と厳しくなってきました。今年のクリスマスも神様の祝福が豊かにありますようにとお祈りいたします。こちらは少し元に戻ってきました。でも無理をすると咳が出たり、頭が痛くなったりするので、怠けに徹しています。今朝の気温はマイナス一度。雪は降りませんでしたが、あたり一面氷が張っていました。油断していると滑って転びそうです。
霜光り犬喜びて歩きけり。
過疎の空青く澄みたり烏瓜。
優しげに微風に答ふかれススキ。
病窓や郷愁募る冬茜。
山のもの和むクリスマスリースかな。 馬場路哉
12月23日
今日の山添は幾分寒さが和らいでいました。クリスマス礼拝を捧げることができるか不安がありましたが、何とか礼拝だけを捧げることができました。数年ぶりにご一緒に礼拝を捧げることができた方とは、懐かしいお話は山のようにありますが、あまり無理をするとぶり返しては大変と思い、失礼とは感じつつ、ご挨拶だけにとどめておきました。クリスマス礼拝はいつもとは違って励まされるものがありました。田舎の教会に27年ぶりに出席された方もおられました。その方は中学時代に母と一緒に勉強をして、礼拝にというのではなくお母さん代わりに母と進路や学校での悩みを話し合って学校帰りには毎日のように尋ねてこられていました。教師を志し、もう教頭になっておられるということでした。
母が生きていたら喜んでいただろうにと思いながら、帰路につきました。
初めての外出でしたので(肺炎を患って以来)やはりとても疲れました。今年はゴタート先生からクリスマスカードの返信はありませんでした。ふっと一抹の不安がよぎります。
12月29日
礼拝に張り切ってい行きましたが、やはりその後どうも疲れやすくなっています。年齢のこと、体調のこと、これからは気を付けて、弱さを知りつつ行動したいと思っています。
娘はいつもジャーナルから刺激を頂いて励んでいるとのこと。特に「世田谷通信」はとても楽しみにしているようです。
心配していましたゴダート先生からのクリスマスカードが27日に届けられました。とても感謝でした。体調が悪いところがあり、心臓にペースメーカーをいれられたとのことです。85歳になられて、今も日本でのことを懐かしく思い出してくださっているようです。
先生はイエス様の福音を述べ伝えるために日本へいらしてくださったのですから。とても強められました。私はようやく犬たちと散歩ができるようになりました。あまり無茶をしないで年相応に生活しなければと深く反省しています。
豆電球ちりばむるかの吾亦紅。(われもこう)
過疎の地にとどまる山家冬紅葉。
はんなりと夕べ迎ふる障子かな。
オリオンと正三角の冬の空。
雪雲の去りてコバルトブルーなる。
1月8日
今年も早8日が過ぎようとしています。一日一日があっという間に過ぎていきます。日々の家事に追われて静かにできる時間は少しですが、ぎっしり詰まった信仰の糧。弱りつつあるものを神様に立ち返らせてくださいますから、感謝です。外は朝から雪が舞っていましたが少しだけでほっとしています。いつも寒に入ると、早く春が来てほしいなと待ちます。厳しい寒さに耐えて初めて温かくなった春の到来が嬉しいのでしょうね。人生も、そうですね。試練に耐え忍ぶことによって信仰が強められるので、感謝です。
第九聞き引き締まりたる年の暮れ。
烈風に葉のざわつきぬ枇杷の花。
師の名乗確と覚ゆる青畝の忌。 馬場路哉
1月9日
大阪の方お薬を減らすことができて、体はしんどいのでしょうがそのけだるさに耐えて行かれますようにと祈っています。今日の夕方の散歩の折、犬たちに急に速度を速め思い切り引っ張られ、道端の草が生えているところに転んでしまいました。肩から落ちたように感じました。主人がもう一匹の犬と後ろから散歩していましたので、”だいじょうぶか”と声をかけてもらい、何とか起き上がることができました。主人が転んだのでなくてよかったと思いました。主人は主治医から”転んだら絶対ダメ”と厳しく言われています。それは足の肉腫を切除する際に、骨まで削らなければならなかったこと。その骨を補強するために50センチほどのパイプのようなものが埋め込まれていますから転ぶとパイプが突き出てくるということなのです。
馬場暁美
上野緑ヶ丘教会
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」