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「ローマ人への手紙」研究 (123)
第68課 キリスト者生活の実践的義務
=12:1~15:13=・・・6・・・
A 個人の生活上の聖潔を養う義務
12:1~21・・・6・・・
「兄弟姉妹たちの助けになろうとの配慮」・・12:4~8
第3節は謙遜と柔和を教えていますが、この章の後の節と共に学ぶことにします。
4~8節は兄弟姉妹のキリスト者に対する私たちの関係について教えている箇所です。他の人たちを助けるという気持ちと心構えがなくては、私たちは聖潔を身につけることではありまん。言い代えるならば、聖化の恵みに預かりつつある者は、真に困っている人々を助けようという気持ちが自然の発露として出てくるのです。数世紀前までは、多くの人たちが聖潔ということについて誤った考えを持っていました。
彼らはこの世から逃避して、僧院の中に入りこの世に対して戸を閉じたり、あるいは草庵を結んで社会から孤立して新カトリック教会の修道士や修道女ばかりでなく、今もこのように考える人々が、プロテスタントの中にもいます。これらの人々も聖ということについて、上述に近い考え方を持っています。しかし、聖書的な聖潔観はそのようなものではありません。真の清潔は世から自らを孤立させることではなく、進んで他の人々を助けることです。
もし私たちが真に聖潔であるならば、他の兄弟姉妹の福祉と進歩に関心を持つべきなのです。私たちキリスト者は自分一人では、キリスト者生活をすることは出来ないということを認識すべきです。教会は一つの有機的な全体なのです。キリストをかしらとする生命体であり、私たちはこの身体の肢々なのです。そして個々のキリスト者生活は、多くのキリスト者たちの生活と密接な関係があるのです。
私たちの各々が、この体、すなわちキリストの体なる教会の肢々として行動しなくてはならないのです。私たちはキリストにあって一つの体であると共に、互いにその肢々なのです。各自の果たさなければならない機能があるのです。神は個々のキリスト者をキリストの体における一つ一つの地位と機能に召されたのです。
J.G.ヴォス著
玉木 鎮訳(日本キリスト改革派引退教師)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」