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さんびか物語・・・13・・・
(広く愛唱されている50曲)・・・12
ポ―リン・マカルピン著
(米国南長老教会婦人宣教師)
讃美歌138番
ああ主は誰がため 世にくだりて
<神様のみ言葉>
「まことに、彼(キリスト)は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやさ れた。 =イザヤ書53章~5節=
この讃美歌は、受難週に歌われるものの一つであります。主イエス・キリストの苦難と十字架での苦しみの目的が誰のためであったかを、明確に、しかも美しく歌っていますのが、この讃美歌138番の‘ああ主は誰がため世にくだりて’であります。
この讃美歌が発表された1707年です、からもうすでに270年近くもの年月がたちました。しかし、今も多くの教会で歌われ、多くの人々をキリストへの道に導くにふさわしい素晴らしい讃美歌であります。
この讃美歌の歌詞によって、回心された多くの人々のうちの一人に、有名な盲人作者フアニー・クロスビー(ヴァン・アルスタイン)がおります。彼女はまだ信仰のない時に、ニューヨークのある教会の礼拝に出席し、この讃美歌を聞いた時、‘急に心が天よりの光で満たされた’とその時の感激を言っています。その後、彼女は自分の全てをキリストにゆだね、その救いの素晴らしい光にみたされて多くの信仰に輝く讃美歌を書き続けました。493番・495番・529番などがそれであります。
讃美歌138番の作詞者アイザック・ウオッツは1674年7月17日サウザンプトンに生まれました。彼の両親はプライベート・スクールを経営し、幼い子供たちを養育し非常に信仰深い夫婦でした。
父のエノク・ウオッツは英国国教会の反対者であったため、数回にわたって投獄されています。アイザックは8歳の時から詩才に恵まれていたのでしょうか、詩を書き始めました。高等学校時代には、ギリシャ語、ラテン語、ヘブル語などに優秀な成績であったと言われています。
彼の才能を知ってサウザンプトンのある医師は、名高いオックスフォードかケンブリッジ大学で勉学できるようにと奨学金の援助を申し出、受けるように奨めましたが、それを辞退しました。辞退の理由は、当時の両大学の入学資格の一つに、国教会の信者でなければならないと条件があったからです。
彼は非国教会の私立ストック・ニューイングストンにあった大学へと進み、卒業後の2年間、自分の家に帰って、600ほどの素晴らしい讃美歌を書いています。
それを集めて、1707年‘Hymns and Spiritual Songs’と題して出版しました。この讃美歌集は、イギリスの創作讃美歌集最初のものであるばかりでなく、内容においても、旧来の詩編歌の形を破って自由で新しくユニークなものでした。
当時の讃美歌は、詩編の言葉そのままを用いていましたが、彼は詩編の本来の意味をそこなうことなく、詩編の生命的な意味を十分に生かしたところに、彼はオリジナリテーがありました。彼は1712年にメーク・レイン教会と言う大きな教会の副牧師として迎えられ、10年間教会に全精力を注ぎました。
しかし、以前より虚弱であった彼は、マーク・レイン教会の会員であった、アブニー郷が彼を別荘に招いたのが縁になって、その家の終生の客となり(36年間)、1748年に天に召されました。36年もの長い間、彼の世話をしたアブニーご夫妻は、ウオッツの信仰に深い尊敬と愛をもっていたのでしょう。
彼の影響は、イギリスの教会は言うに及ばず、アメリカでも深いものがあります。ともあれアイザック・ウオッツは「イギリス讃美歌の父」と仰がれた偉大な人物であります。
讃美歌の曲BELLERMAはフランス人のフランソワ・H・バルテレモン
(1741~1808)によるものです。フランソアはアイルランドで教育を受け、英国へ行ってバイオリンニスト及びオペラの指揮者として活躍しました。彼は作曲家として多くのオペラやバイオリン・ソナタを書きましたが、教会音楽の作品はわずかでした。この讃美歌のメロデーは、古いスペイン民謡から取材されたもので、彼の唯一の讃美歌と言われています。1954年版の曲はロバート・シンプソンの編曲になるものであります。
<138>
1 ああ主は誰がため 世にくだりて、
かくまでなやみを うけたまえる。
1節では、イエス・キリストが、私たちひとりひとりの罪を取り除くために、受肉なさって、この世にくだりたもうたことを歌っています。
ヨハネの福音書1章14節には「主イエス・キリストが人となって、私たちの間に住まわれた」と記されています。また、同じ3章16節には「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどにこの世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」とも記されています。神様は、私たち罪人に対して、こうようなまでに深いあわれみと愛とをもってかえりみて下さるとは、なんと素晴らしいことでしょう。
2 わがため十字架に なやみたもう、
こよなきみめぐみ はかりがたし。
2節では、預言者イザヤがイザヤ書53章4~5節で、主イエス・キリストの十字架での悩みと苦しみを言い表しています。イザヤ書には「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。・・・私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた」と記されています。
主イエス・キリストは、誰のために死にたもうたのでしょう。そうです!私のためであり、あなたのために十字架上で死にたもうたのです。全人類は、神様のみ前に罪を犯した罪人です。そうして罪の支払う報酬は死罪です。この死罪の宣告を受けている私たちの、否、全人類の身代わりの贖いとして、その身に刑罰を負って下さったのであります。誰がこの贖いの恵みを軽んじるでしょう。私たちは、ただ素直にこの救いの恵みを感謝をもって頂きましょう。
3 とがなき神の子 とがを負えば
てる日もかくれて やみとなりぬ。
3節では、罪なき神の子キリストが、私たちの罪のために十字架につけられた時のことを歌っています。
ルカの福音書23章44節にはその時「全地が暗くなって、3時まで続いた。太陽は光を失っていた。また、神殿の幕が真二つに裂けた」。太陽はなぜ真昼に3時間もの間、光を失ったのでしょうか。これは決して自然の日蝕ではなく、全能なる神様の不思議なみ業であったに違いありません。
私たちがこのみ業を通して学ばなければならない大切なことは、人間の罪の深さと神様の愛の広さであります。即ち、「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する御自身の愛を明らかにしておられます」(ローマ5:8)という事実であります。
4 十字架のみもとに こころせまり、
なみだにむせびて ただひれふす。
4節では、イエス・キリストが十字架におかかりになった時、周りにいた人々の様子を歌っています。
「道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしった。同じように、祭司長たちも律法学者、長老たちもあざけりました。イエスといっしょに、十字架につけられた強盗どもも、同じようにののしった」(マタイ27:35~44)のです。しかし、「イエス様の見張りをしていた百人隊長は地震やいろいろな出来事を見て、非常な恐れを感じて「この方はまことに神の子であった」と言いました」(マタイ27:54)。
また、遠くから涙にむせびつつ見つめていた、イエスを信じ、つかえていたところの女たちもいました。あなたはイエス様をののしるグループですか。それともイエス様の救いの恵みを信じるグループの方ですか。
5 なみだもめぐみに むくいがたし
この身をささぐる ほかはあらじ。
5節では、この讃美歌の主題が、素晴らしいクライマックスとして‘この身をささぐる、ほかはあらじ’という言葉の中に示されています。ファニー・クロスビーもこの言葉を耳にすると同時に、自分の傲慢とわがままを捨てて、イエス様の十字架のみもとにひれ伏し、イエス様を自分の救い主として受け入れたのであります。
私たちが神様の愛に応答する道は、ただこの身をささげ、神様のみもとにひれ伏し、讃美の歌声をもってほめたたえる道以外にどこにもありません。そのためにこそ、神様の本当の愛をあなたご自身味わい知ることが大切であります。
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この「さんびか物語」は「つのぶえ社」の出版(第一刷1974年、第二刷1992年)で、出版社の許可を得て掲載しています。本の購入を希望される方は、「つのぶえ社」までご注文ください=
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」