[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「ローマ人への手紙」研究 (124)
第68課 キリスト者生活の実践的義務
=12:1~15:13=・・・7・・・
A 個人の生活上の聖潔を養う義務
12:1~21・・・7・・・
「兄弟姉妹たちの助けになろうとの配慮」・・12:4~8・・3・・
ここで私たちは二つの一般的な誤りを上げて、それらを警戒しなければなりません。第一は、私たち一人一人が果たすべき役割をもつべきであるということを意味するものではありません。聖書のこの箇所は広い意味で述べていることであって、制度としての教会における役職、例えば牧師・長老・執事・教師などのことを指しているのではないのです。これらの役職は一部分のことであって、全体的なことではありません。
パウロがここで語っているキリスト者の助け合いと言うことは、教会の公的な役職よりももっと広くて包括的なものです。例えば、8節で「寄付するものは惜しみなく寄付し」と言われていますが、これは必ずしも役職の機能を言っているのではなく、すべてのキリスト者が困っている人々や貧しい人々のために寄付したり、教会のために献金すべきことについて述べているのです。
また、「慈善をする者は快く慈善をすべきである」とありますが、これは明らかに教会の役職よりももっと広い意味で言われていることです。私たちは役職に就かなくても、神に忠実に奉仕することができるし、また兄弟姉妹を真に助けることもできるのです。
このことは、現代には、各信者は教会内で何かの公的な役職に就かなくてはならないと考える傾向がみられるから、特に強調しなくてはなりません。このような考えは聖書的な理念ではないばかりか、実際に多くの害を生み出すのです。役職に就くには、それに相応しい資質がいるのであって、そうでない者がそれに就くときには、キリスト教の奉仕ということについて誤った理念を持ったり、神が彼らに求めておられる真の奉仕をおろそかにしてしまうことになるからです。
またこの傾向はいたずらに多くの役職や委員会を作って、結局、良い働きができなくなってしまうのです。教会の組織は簡素で機能しやすいものでなくてはならない。組織をいたずらに多くしたり、複雑化したりすることは感心できない傾向です。船に例えれば、船は誰でもが船長になれるようには作られてはいません。船の目的は多くの人々と貨物とを目的地に運ぶことにあるからです。組織というものは教会のすべての人々を忙しくさせるために作られるのではなく、真の必要のためにのみ作られるできなのです。
第二に、すべてのキリスト信者は他の人々と全く同じような仕方で、奉仕の働きをするべきだとする誤った考え方を持つ人が多いのです。ある一人の賞賛されている牧師の働きを標準にして、他の牧師たちの働きを計ろうとする人々がいます。長老の場合も同じです。しかし、個々のキリスト者の能力や資質はみな百人百色です。「与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物をもらっている」(6節)のです。私たちは各自、自分独自の賜物を聖霊によって与えられているのです。従って、他人と同じ賜物を与えられるように求めたり、うらやんだり、自分の賜物について不平を言ったりすべきではありません。
それどころか、私たちは神が私たちにどのような独自な賜物を与えて下さったかを発見して、それを神の栄光と兄弟姉妹たちのために役立てるべきなのです。これこそ真の奉仕なのです。
J.G.ヴォス著
玉木 鎮訳(日本キリスト改革派引退教師)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」