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「あなたに聖書を」
「キリスト教百話」・・・29
問20・・7 キリスト教では「罪」と言うことを言いますね。クリスチャンは「われらの罪を赦し給え」と祈っていますが、別に犯罪を犯しているようでもないのに、どうしてあんなことを言うのですか。
答 「罪」と言う言葉は普通には何か悪いことしたことに対して、それは「罪を犯した」という風に使われますね。それが法律に引っかかる場合には明らかな「犯罪行為」とみなされます。その場合は法律に違反しなければ「犯罪」とはなりません。と言うことは、その場合の「罪」というものは、そのほうりつが適用せれる範囲内の人にとって誰もが認める共通の「してはならないこと」が明文化されていますから、「罪」とは何かがはっきりしています。
<続き> この話を聞いた人の中には、いろいろな感想やら批判を述べる人がいるだろうと思います。例えば「このオヤジさんは甘すぎる。いくら息子が欲しがったからと言って、早々に財産分けをしてやる必要なんかないんだ。それと自分の息子がどんな子か分かっているはずだから、それを承知でやるなんて、見識がなさすぎる。結果は目に見えている」という類です。
また「甘いといえば、息子が帰って来た時の迎え方だ。大体黙ってどこへ行くとも言わないで家を飛び出したばかりか、あんな姿で帰って来たのであれば、『どの面下げて帰って来たのか』と怒鳴り返して当然だ。それが自分勝手なことをした奴に対する見せしめだ。そうでなければ、真面目に働いている兄息子に対しても示しがつかないよ。放蕩三昧して挙句の果てに歓迎されると言うのであれば、放蕩した方がトクということになるよ。近所にも若者がいるんだ。ああいうオヤジさんのやり方では若者たちへの示しもつかない」という批判もあるでしょう。要するに、親不孝の放蕩息子に対しては、しかるべき凝らしめがあるのは当然ではないかと言う考え方です。
一方「あの息子は悪い奴じゃ。しかし、自分が悪かったことに気づいてよう帰って来た。そしてオヤジに謝ったところなど、これからが良くなるだろう。オヤジさんもそういうことを見越してよくあれだけの歓迎をしてやったものだ。あれだけのことをやってもらったら、あの息子にとってオヤジは大恩人になるし、二度と放蕩などしないに違いない。結構なことじゃ」と言う人や、また「ああいうオヤジを見ると、オヤジって者は、顔に出してはいないが心の中はみんなあんな風に息子のことを思っているんだ。俺もオヤジに心配かけちゃいかんな」と思う人もいるかも知れません。
ところで、こういう話を引き合いに出したのは、前からの引き続きで「罪とは何か」を説明するためです。父親は息子の性質をよく知っていたにしても、放蕩に使うことを願って財産分けしたのではありません。有効に役立てて欲しいという思いで、父親から独立して行こうとする息子に財産を分けたのです。
この父親の思いや意向を全く無視し、それとは見当違いの生き方をしたことが、彼の父親に対する罪(見当違い・的外れ)であったのです。しかもその罪がどんなに深いものであったかは、帰った彼に対する父親の予想もつかなかった歓迎に示された愛に接して、喜びと共に、涙を流して悔い改めずにおれなかったものであったといえます。
この話から言えることは、第一に、人間は自分の欲しいままに生きて遂にどんづまりにならない限り、見当違いに生きて来た自分に気づかないであろうと言うことです。人生には様々な浮き沈みがあります。万事快調でいい気分になっておれる時もあれば踏まれたり蹴られたりで、にっちもさっちもいかない時もあります。その結果、首をくくって死ぬ人もいます。富めば奢り、貧しくなれば鈍すると言われるように、貧富が人間性を変えてしまうことだってあります。
今取り上げている放蕩息子も、金があった時は取り巻きに囲まれ、したい放題のことが出来ていい気分でおれたでしょうが、豚飼いにまで落ちぶれてしまった時には、生きる意欲も失ってしまったことでしょう。こういう彼に起死回生の力を与えたのは、彼の父の愛でした。これが、人生のどん詰まりに陥った彼の救いとなったのです。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
<5月のラジオ放送予定>
5月 3日 横山 良樹 (日本基督教団半田教会牧師)
10日 横山 良樹 (日本基督教団半田教会牧師)
17日 武井 恵一 (日本基督教団豊橋東田教会牧師)
24日 武井 恵一 (日本基督教団豊橋東田教会牧師)
31日 山田麻衣子 (日本基督教団名古屋北教会牧師)
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」