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さんびか物語・・・14・・・
(広く愛唱されている50曲)・・・13
ポ―リン・マカルピン著
(米国南長老教会婦人宣教師)
讃美歌150番B
あくまのしばし ほこりし勝利(かち)は
<神様のみ言葉>
「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、・・・キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、それから十二弟子にあらわれたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。・・・」
=コリント人への手紙第1、15章3~6節=
讃美歌150番は、復活節を祝うために歌われている多くの讃美歌の中でも、本当に素晴らしいものの一つと言えます。
原作者ミヒャエル・ヴァイセ(1480頃~1542)は、すぐれた才能を持っていた宗教改革時代の讃美歌作詞者の一人でした。ヴァイセは1480年頃サイレジヤ(昔はドイツ、今はポーランド領の西南にある地方)に生まれました。その後、成長してローマ教会の司祭となり、しばらくサイレジャのプレスラウの修道院に修道僧としての生活を続けていました。
しかし、神様の不思議な摂理によって、ルーテルの初期の著作がヴァイセの手に入り、その結果、彼は信仰の目をさまされて霊的に生まれかわらせたのでした。それで同修道院のもう二人の司祭と共に、ヴァイセはボヘミヤ(チェコスロバキヤの西の地方)のボヘミヤ兄弟団のもとに亡命しました。そこで彼はドイツ語を用いる同教団の創立者並びに説教者となって有力な働きをしたそうです。
また1522年に彼は同兄弟団を代表して、ウイッテンベルグにいたルーテルのもとに行って、兄弟団の立場や教理を説明し改革の成功を祈り、お互いの教団の交わりを深めたのであります。
彼は兄弟団の讃美歌の編集者として任命されて、ボヘミヤ語の歌をドイツ語に訳したり、自ら創作した歌を1531年までに155ほどの讃美歌を含めた本を発表しました。それらはみな彼の翻訳のものか彼の創作のものでした。
この150番もその時に発表されましたが、これは古いポヘミヤの讃美歌にもとづいて作ったものだそうです。この素晴らしい復活節の歌は彼の代表作として広く認められていますが、創作後、450年もたった今日、私たちは昔の聖徒たちと同じようにこの讃美歌を通してイースターの喜びを味わい声高らかにハレルヤ!と歌うことが出来ますのは非常な喜びといえます。
讃美歌150番Bの曲ESSEXは、イギリス人トマス・クラーク(1775~1859)の作品であります。クラークはウェスレー派並びにユニテリアン派の教会で音楽の指揮者をしておりましたが、あまり知られた音楽家ではなかったようです。彼はいくつかの讃美歌を作曲したようですが、今日では広く用いられていないようです。
ESSEXという曲は、日本の教会では明治版の讃美歌以来広く親しまれているイースターの曲の一つのようです。ともあれ、この讃美歌の歌詞と曲は実によく組み合わされているばかりでなく、各節を結ぶクライマックスの‘ハレルヤ’は何とも素晴らしいの一語に尽きます。
おもしろいことは、この讃美歌の日本語訳では‘ハレルヤ’(神=エホバ=を讃美せよ!)という言葉がどの節でも一度だけ使われていますが、原作のドイツ語や英訳では3回から4回使われていることです。しかしながら、この実に味わいある日本語訳での‘ハレルヤ’は実に力のある用い方がされていて数の上では1回ではありましても、おろそかにしているのではなくクライマックスにふさわしい言葉の用い方として歌われているように私には思えてなりません。
ここで日本語訳と英訳とを比較しながら、それぞれの特徴を味わってみたいと思います。
<150>
1 あくまのしばし ほこりし勝利(かち)は
今しももろく ついえけるかたな。
ハレルヤ
英訳の1節は‘主イエス・キリストは三日の牢屋から(またの訳は‘あらゆる鎖を破り給うて’よみがえり給うた!聞け。天の使いたちは天で喜びつつ、絶えず‘ハレルヤ’と叫んでいます。ハレルヤ!ハレルヤ!ハレルヤ!
2 かがやきのぼる あさ日のごとく
陰府(よみ)にうちかち 主は活きたもう
ハレルヤ
英訳の2節は、‘私たちのためにいのちをささげ、戦いをたたかい尽した主は、いま私たちの過ぎ越しの子羊となり給いました。私たちも喜びつつ‘ハレルヤ’と歌いましょう。ハレルヤ!ハレルヤ!ハレルヤ!
3 めぐみとさかえ みいつにみてる
イエスの御顔ぞ げにうるわしき
ハレルヤ
英訳の3節は‘十字架であわれまれず、あらゆる苦しみとあらゆる損を耐えしのばれた方(主イエス)は、いま天においてご栄光を受けつつ私たちのとりなし主となり給うて、私たちの叫びに耳を傾けておられる。ハレルヤ!ハレルヤ!ハレルヤ!
4 ひとやのなかに つながれおりし
アダムの子らは 解きはなたてぬ
ハレルヤ
5 世界のたみよ あまつつかいに
こえをあわせて よろこびうたえ
ハレルヤ
英訳の4節は‘墓の中でねむり給うた方は、私たちを救うために、いま高く上げられております。いま世界中で響いているのは神の子羊は王の王であられる、という歌であります。ハレルヤ!ハレルヤ!ハレルヤ!
この讃美歌が歌われている中心点を少しくみなさんとご一緒に考えてみたいと思います。
その1 主イエス・キリストは神の子羊として、私たちひとりひとりを救うためにこの世に降り給うたということです。「十字架上で私たちの身代わりとなって、罪人が受くべき罰をお受けになり、贖って下さったことを歌い上げています。
その2 主は悪魔にまた死に打ち勝ち給うたということです。使徒の働き2章23~24節には「神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方(イエス・キリスト)を、あなたがたは不法な者の手によって十字架につけて殺しました。しかし神は、この方を苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです」と記されている通りであります。
実に‘主は活き給う’です。昔の弟子たちがよみがえられた主を見た時に喜んだように、私たちも同じように・・・、いや、それ以上に喜ぶはずです。なぜなら、死に定められている私たちは、信仰によって「キリストとともに死にキリストとともに生きることになる」からであります(ローマ6:8)。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです」(ヨハネ11:25)と語られた、よみがえりの主を信じていますなら、心からハレルヤ!と歌わずにはおれません。
最後の点は、この何よりもかえがたい恵みと喜びを持っている私たちは、これをまだ救われていない多くの人々にわかち与えなければならないという、偉大なそして光栄な責任があるということであります。
‘世界の民はあまつ使いに声をあわせて、ハレルヤ!と喜び歌う’ためには、まず最も大切なことを知らなければなりません。それは、‘キリストは私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、三日目によみがえられたこと、500人以上の兄弟たちに現われたこと’(Ⅰコリント15:3~6)であります。この事実を信じて、聖書に立って主イエス・キリストのおよみがえりの喜びをともに味わいましょう。
「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまでも、あなたがたとともにいます」。~マタイの福音書28章19~節~
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この「さんびか物語」は「つのぶえ社」の出版(第一刷1974年、第二刷1992年)で、出版社の許可を得て掲載しています。本の購入を希望される方は、「つのぶえ社」までご注文ください=
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」