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「あなたに聖書を」
「キリスト教百話」・・・30
問20・・7 キリスト教では「罪」と言うことを言いますね。クリスチャンは「われらの罪を赦し給え」と祈っていますが、別に犯罪を犯しているようでもないのに、どうしてあんなことを言うのですか。
答 「罪」と言う言葉は普通には何か悪いことしたことに対して、それは「罪を犯した」という風に使われますね。それが法律に引っかかる場合には明らかな「犯罪行為」とみなされます。その場合は法律に違反しなければ「犯罪」とはなりません。と言うことは、その場合の「罪」というものは、そのほうりつが適用せれる範囲内の人にとって誰もが認める共通の「してはならないこと」が明文化されていますから、「罪」とは何かがはっきりしています。
<続き> こういうことから言って、「救い」とは自力ではいかんともし難い状況からの解放であると言うことが出来ます。そのままでは一番大切にしなければならない父親との関係を失った見当違い(罪)で終わってしまいます。そして、父親から「死んだ者」としてしか見られないままで終わることになります。その罪が赦され、その死から解放されて新しい生きた関係に入れられることが「救い」なのです。
では「救い」とは、放蕩息子のように、自分の力ではどうしょうもないほどのどん詰りに陥った人だけに必要であるかと言うと、そうではありません。先述したよういに万事好調で「みんな間に合っています。救われなくてはならないなんてことは全くありません」という人もおります。が、そういういい気分でおられるのは富んでいるからであって、貧した時には鈍する自分の人間性を弁えていなかったり軽視しているからです。
これに関連して、放蕩息子の兄のことに触れますと、このお兄ちゃんは、長男としての責任を感じていたせいもあったかも知れませんが、弟と違って、家業に励んでいて、父親も喜び、近所隣り、親類からも模範青年と認められ、親孝行息子と評判にされていました。
本人もそのことでは「俺はアイツ(弟)みたいではないぞ」と自負するところ、があったでしょう。彼はある日、仕事から帰って来ると、家の周りがいつもと違って妙に賑わしく、近所のおかみさん連中が鍋釜をもって忙しく出入りしている。で家の中をちょっと覗くと何やらご馳走が沢山並べられていて、ただ事でないように見えたので、一人をつかまえて「オレ何も聞いていないが今日何事があったね」と聞いたところ、「実は、あなたの弟さんが帰って来られたというので、オヤジさん大喜びで、親戚や近所の人まで呼んで、「みんな一杯やってくれ」と言っておられるところですよ」という答えだったのです。
こういう時の兄息子の反応は大体見当がつくと思います。「まずは、怒ったのではないか」ということです。その通り、兄息子は、それと知って、呆れるのを通り越して、頭の中が怒りでかっかとしてきました。
そこへ、兄息子が帰って来たものの、表でただならぬ顔つきをしていると聞かされた父親が「いつもなら『ただ今』と言って家に入って来るのに、今日に限ってそうではないとはどうしたことか」と外へ出て見ると、何とまあお兄ちゃんが真っ赤な顔で「オヤジ、聞けばあんたの息子が帰って来たと言うことで、大喜びの大盤振る舞いをしていると言うじゃないの。あのあんたの息子はよ、貰うものはみんな貰って家をおん出て、自分勝手にやりたい放題のことをやってよ。噂では遊女と遊び暮らして、挙句の果ては豚飼いにまで落ちぶれ果てたと言うんじゃないの。親戚にだっていい面汚しだし、近所の人だって『どうしてあんな子が生まれたのかね』と言っているのを知らないの。故郷にぼろをまとって帰って来るなんて、どの面下げてそんなことができるというの。あんな奴、普通なら牛小屋に寝泊まりして冷や飯喰ってりゃ御の字というものよ。オレが友だち呼んで一緒に飯食った時には何のご馳走もしてくれなかったのに、放蕩野郎のアイツには子牛を殺して大ご馳走だと。オレ、もう言うことないよ。あなたの好きなようにやればいいよ。オレには関係ないことだから・・・」と言ったものでした(ここで「そうだ、そうだ、それくらいのこと言うのは当然だ、もっと言ってやれ」と言う声が聞こえてきそうです)。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
<6月のラジオ放送予定>
6月 7日 沖崎 学 (金城学院高等学校宗教主事)
14日 沖崎 学 (金城学院高等学校宗教主事)
21日 後藤田典子 (金城学院中学校宗教主事)
28日 後藤田典子 (金城学院中学校宗教主事)
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」