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世田谷通信
(141)
猫 草
「二兎を追うものは一兎をも得ず」このことわざを考えた人に、私は深く同意する。実際に2匹のウサギを追いかけた経験があるからこその実感があるのだ。
毎日、朝晩2回、うちの裏庭にウサギたちを放してやる。理由はいくつかある。まず運動不足解消のため。ウサギ小屋と言っても、寝る場所と運動場をセットにした1匹けっこう広いスペースはあるのだが、うちのウサギたちは「狭い!」「出せ!」アピールが激しい。そうはいっても家の中に放すと、お互いにオシッコをかけあって、床も壁もベタベタ。取っ組み合い噛みあって毛も飛び散って大騒ぎになる。掃除が大変で、とても出す気にならない。仕方がない、裏庭で存分にはしゃぎたまえ。という感じである。
以前、先代のウサギを裏庭に放していて、ちょっと目を離したら猫に襲われたことがあるので、私も一緒に付き添っている。新聞とコーヒーとケータイも持っていく。時々ランチも持参する。暇つぶしにナンバープレースのパズルでもあれば頭の体操にもなる。こちらは基本的に退屈なのだ。
そして2匹のウサギの本気の追いかけっこがどれだけ速いか。その敏捷さ、軽やかさ、時々高く跳ねて、急激にターン、横跳びしてフェイント、腰を落として加速、距離を詰める為のロングジャンプ。普段ののんびりした姿からは想像もつかない。しばらくすると、疲れるのか木陰で休んでいる。こちらも長時間外にいると蚊に刺されるので、「そろそろ帰るよ!」と捕まえようとする。すると今度はさらにスピードアップして逃げまわる。まさに脱兎。昔の人は上手いことを言う、なんて感心している場合ではない、本当にウサギは捕まらないのだ。口元に指を出すと、噛みつかれることすらある。こちらは「窮鼠・・」でウサギではないが、噛まれるとすごく痛い。ガリッと削ってくる感じ。「飼い兎に手を噛まれる」なんてことわざはないが、ショックな気分はよくわかる。
と言うわけで「二兎を追うものは・・・」とつぶやきつつ朝晩裏庭をうろうろするのである。ご近所には変な人だと思われていないかな。少し心配ではある。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」