[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
今月のことば
主に愛される者、彼は安らかに主のそばにおり、主は終日、彼を守り、その肩の間にすまいを営まれるであろう。
=申命記33:12=
私たちは生活の必要度を考えてみる時、衣食住の内、まとまったお金で購入するものに「家・住まい」があります。「生活しやすい住まい」「健康的な住まい」「格安な住まい」、そして、最近は「環境」が重要な要素になりました。当然のことですが、そこに生活の基を置き、何十年も住み続けるうちに、年齢や家族構成の変化で、使用期限が変わります。
年齢と共に求めるものにも変化が見えます。安心・安全と共に医療機関が新たに加わる項目です。それは、「安らかな住まい」と言えることでもあります。身の安全のために安全錠に守られ、安全保障会社に守られて得るものではないと知ることは、とても大切なことでしょう。
核戦争のために「地下壕」を考えても、「安らぎ」を得ることは不可能です。それは、不安の中にいて我慢する「地下壕」です。
しかし、もし「安らぎ」があるとするならば、それは「地下壕」にではなく、神のもとにしかないとするか、信仰で解決するなんて・・・と思うかを、また、一度、「主に愛される者」について、考えてみたいと思えたら、未来に大きな違いがあることを知ります。それは「主に愛される」「安らかに主のそばにおり」と言う、「安らぎ」です。
連載されている「あなたに聖書を」の事柄は「放蕩息子」の喩えと言われているものです。また、「失楽園」という旧約聖書の出来事は、「安らかな住まい」を失っている姿です。このどちらも、「永遠の住まいにすむ居住権」「を失った「不安・不安定・絶望」です。
失ったものを取り戻そうと、人はあわててしまうために、本当のものを見失い、もっと多くのものを失うのです。「取り戻す」のではないのです。「主に愛される者に新にされ」、「与えられることを待ち望む者」されることです。神の国の「永遠の居住権」を頂く者に変えられる時、「主に愛される者」が、「安らかに住まう」住人になるのです。これこそが「福音」です。「福音に生きる幸い」は、イエス・キリストへの信仰にあるのです。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」