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ビルマ
戦犯者の獄中記 (52) 遠山良作 著
昭和22年
9月4日
―タキン党事件の判決と裁判―・・2・
この事件を担当した、外山林一弁護士の調査報告記録によると、
「本件の被疑者の内、補助憲兵安倍曹長と酒井軍曹はかつて田島少佐の部下でありました。それで田島少佐はその二人に対し、お前たちも何か戦犯の容疑があったら俺に話してみろ、俺が力になってやると、さりげなく話した。安倍曹長と酒井軍曹は、かつての上官であった田島少佐が、まさか英軍のスパイであろうとは夢にも知らず、二人は田島少佐に対し、本件のビルマ人26人を憲兵がトラックに乗せてチャイマロ山中へ連れて行き、日本刀をもって首を斬って殺した状況を詳しく話しました。
田島少佐は二人から聞いた事実を直ぐに英軍調査官ダスチュゲス少佐に知らせたのです。同調査官は、安倍曹長を呼び出し、印度人通訳ワタン(戦時中日本憲兵の通訳)を使って取り調べました。安倍曹長はその取調べ内容から田島大佐に話した事実を密告されたことを悟りましたが、頑として否認しました。
同調査官は止むを得ず取調室に田島少佐を呼び入れて、二人で安倍曹長を詰問しました。同調査官や田島少佐は「お前が最後まで否認するなら絞死刑だ。お前が自白しても検事側の証人には立てない。それのみか自白すればお前だけはすぐに日本に帰してやる」と脅迫、誘引、約束により自白を強要しました。
安倍曹長は相当頑張りましたが遂に調査官に対して自白し、自白調書に署名指印しました。酒井軍曹も同じような取り調べを受けて自白し、詳しい供述書が作成されました。その翌日、安倍曹長と酒井軍曹は、ジープに乗せられ、調査官や田島少佐たちと事件現場であるチャイマロの山中に案内しました。二人は26人の死体を埋めた3箇所を指示しました。人夫がその3箇所を掘り起こすと合計26個の頭蓋骨が現われました。
調査官はこれらを全部写真撮影し綿密な検証調査書が作成されました。調査官はその後も安倍曹長と酒井軍曹を取調べ、事件に関係している18名の被疑者等の行動を被疑者別に箇条書きにした供述の内容と、酒井軍曹の供述書が殆んど一致しておりました。
事件の真相を把握した調査官はこれらの証拠を基にして、その他の被疑者を厳しく取り調べました。被疑者の将校4名と下士官2人を除き、全員が自白し、供述書が作成されました」。
*この文章の転載はご子息の許可を得ております。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」