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第69課 キリスト者生活の実践的義務
A 個人の生活上の聖潔を養う義務
12:1~21・・・10・・・
「キリスト教的愛の義務」・・12:9~10・・・1・・
「愛には偽りがあってはならない」(let lave be without dissimulation)
Dissimulationとは猫かぶり・偽善の意味であります。9節の「愛」は全ての人に対する愛を指しており、10節の「兄弟愛」はキリスト信者同志への愛が語られています。従って、私たちは人々に対する愛において、真実で偽りがなく、偽善があってはならないと教えられているのです。
ただ言葉だけで行いの伴わない一種の愛のようなものが存在します。それは単なる装いであり、見せかけに過ぎないのです。私たちは隣人に対する愛について百万言も語ります。しかし、彼らの必要に対しては目を閉じて、良きサマリヤ人の例え話の中のレビ人のように傍らを通り過ぎてしまう者なのです。真のキリスト者生活に中には偽善や偽りの入る余地はないのです。人々に対する私たちの愛は真摯で純粋でなくてはならないのです。
「悪は憎み退け、善には親しみ結び」。ここの「悪」と「善」という言葉は、道徳的な善悪を意味していると理解されています。そしてこの勧めは一般的なものであるとされています。しかし多くの注解者たちは文脈上から、限定的な意味に解して、前者を非道なこと、後者は親切という意味の理解しています。従ってこの箇所の意味は、「愛は真実でなくてはならない。他人を傷つけるようなことは避け、親切で益になるようなことをするように努めよ」となります。いずれの意味にも取りうるけれども、文脈上からは後者の方が良いと考えられています(C.ホッジ)。
J.G.ヴォス著
玉木 鎮訳(日本キリスト改革派引退教師)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」