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ビルマ
戦犯者の獄中記 (53) 遠山良作 著
昭和22年
―タキン党事件の判決と裁判―・・3・・
9月4日
―タキン党事件の裁判の状況―・・1・・
昭和22年8月11日よりラングーン高等裁判所の大法廷に於いてタキン党事件の軍事裁判が開始された。武装したMP数人に警備され、法廷の正面に裁判官3人が着席した(中略)。検察側の証人の大部分が処刑されたビルマ人の遺族で、その内容は、家族が戦時中、日本軍憲兵により逮捕されて連れていかれた事実と、終戦後もその家族は帰って来ない事実を立証した。
次に検事は、本件の検証調書を作成した係官を出廷させて、その検証調書を作成した状況を立証した後、被告人18人の供述調書の請求をした(中略)。
弁護人は次の諸点を立証した。被害者ビルマ人は日本軍に対しゲリラ活動をした事実を具体的に立証し、かつビルマ方面軍司令官より占領地の住民に対し「ゲリラ活動を止めよ。日本軍に反抗する者は厳重に処罰する」旨の治安命令が布告された事実を明らかにした。その後も反乱軍や住民ゲリラによって日本軍が各地で殺害され、その数は4000人以上に達し、憲兵だけでも90人が殺された。特に、ラングーンよりモールメン地区に退却のためシッタン河を渡らんとした日本人従軍看護婦20余名が反乱軍ゲリラのために全員惨殺された事実を明らかにした。
(中略)
弁護人は英軍陸軍中佐ビルマ人ソチャードを証人として要請「昭和20年6月、7月、8月は英軍の爆撃が烈しく、日本軍は軍法会議を開くことが不可能な状態であった」旨を立証し、更に英陸軍大尉ビルマ人ソカイノを証人に要請、次の諸点を立証した。
本裁判の始まる数週間前に、暴徒に殺されたビルマ国の国務大臣タキンミヤは生前「自分は本裁判につき、弁護側より証人として出廷し被告人等のために証言するのは自分の義務である」とソカイノ証人は語った旨を明らかにした。
同証人はさらに「日本軍と同盟して英軍と戦ったビルマ軍が友軍である日本軍に反乱して日本軍を攻撃したこと。また本事件の被害者の中にはゲリラ活動をしなかった人もあったかもしれないが、大部分は反日活動をした者であるからこれらの人々が被告人等に処刑されてもやむを得ない」という人が多い趣旨の証言をした。
弁護人は最後に、被告人全員を順次証言させ、各人の行動を認めた。(中略)
*文章の転載はご子息の許可を得ております。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」