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第70課 キリスト者生活の実践的義務
=12:1~15:13=・・・11・・・
A 個人の生活上の聖潔を養う義務
12:1~21・・・11・・・
「キリスト教的愛の義務」・・12:9~10・・・2・・
「兄弟愛(フィラデルフィア)をもって互いにいつくしみ、進んで互いに尊敬し合いなさい」。
ここで特に私たちは他のキリスト者兄弟姉妹に対する愛を要求する命令を与えられています。「互いにいつくしみ、」〈kindly affectioned〉の原語は、御子との間の強い自然の愛情を表す言葉です。そして、この語はすべての種類の愛にも用いられている。「ここの意味は『キリスト者はもっと近い親族であるかのような真実と優しさをもって愛し合うべきであること』が求められているのである」(ホッジ)。
しかし、もしそうであるならば、この点について、わたしたちはどんなにか足らないことでしょうか。ある教会は殆ど憎悪と敵意のある壺と言ってよいくらいであって、会員は会員に対し、グループはグループに対して、敵意をもって向かい合っています。ときとして、会員になるだろうと思われる人が、このような敵意を内にもっていて会員となることを拒否するのです。
「進んで互いに尊敬し合いなさい」。これは謙遜の勧めです。しかし、「進んで」と訳されている言語は「導く、前を行く、手本にする」です。ホッジは「尊敬をもって、互いに人を自分より勝っていると思いなさい」と解説していて、さらに「これはただ礼儀正しさということのみでなく、全ての行為において、尊敬と親切とを優先させることである。他人が自分に対して尊敬や栄誉を帰するのを待っているのではなくて、私たちが先んじて尊敬の心をあらわさなくてはならないのである」と述べています。
J.G.ヴォス著
玉木 鎮訳(日本キリスト改革派引退教師)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」