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さんびか物語・・・18・・・
(広く愛唱されている50曲)・・・17
ポ―リン・マカルピン著
(米国南長老教会婦人宣教師)
讃美歌187番
しゅよ、いのちのことばを
<神様のみ言葉>
「イエスは彼らに答えて言われた。わたしはいのちのパンです。あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死にました。しかし、これは天から下って来た生けるパンで、それを食べると死ぬことがないのです。わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です」。
~ヨハネの福音書6章43節、48~51節~
讃美歌187番の‘主よいのちのことばを’は、1954年版の讃美歌「聖書」というタイトルのもとにおさめられています。しかし、‘主よ、わがためにいのちのパンをさき給え’という原作の詩によって、聖餐式の讃美歌としてもちいられて決して不自然ではない讃美歌と思います。ですから、アメリカでは主に、聖餐式の讃美歌として広く歌われています。
この187番で特に注目させることは、歌詞と旋律の完全な一致ということであります。原作者メアリ・A・ラスベリーと作曲者ウイリアム・F・シャーウィンの優れたチームワークで、この二人の共同の作によっていくつかの美しい讃美歌が生まれました。たとえば、187番の他に、同じ1877年に讃美歌50番‘黄昏ややに四方を覆えば’もその一つで、この讃美歌は今でも夏のショトークアで毎晩の夕拝で歌われています。
原作者メアリ・A・ラスベリー(1841~1913)は指を折って数え上げられるほどの女性でした。彼女はニューヨーク州のマンチェスターでメソジスト教会の牧師の娘として生まれました。メアリは小さい時から美術に対する才能を持ち、大人になってから画家として知られましたが、詩などもよく書き、数巻の文学的な書物も出版しています。その他に、美術の教師や青少年の雑誌の記者などもしています。
また彼女は、教会学校事業にも関係し、メソジスト教会の監督ジョン・H・ビンセントと共に有名なショトークア運動をおこしました。ショトークア運動とはニューヨーク州の南西にあるショトークア湖畔のほとりで夏の間教会員がキャンプをしながら、修養に励み、神様のみ言葉を学ぶと共に、有名な講義者を招いて、講演を聞いたり、一流の音楽家による音楽会を開いて、休暇を霊的にも精神的にも満たされるようになされた催しでした。
ショトークア湖畔から始まったこの運動は、当時のアメリカ中に広まって、自然に恵まれたいろいろな所で同じようなプログラムを‘ショトークア’の名のもとに行われました。ニューヨークのシュートクァ湖畔では、今日に至るまで、毎年同じようなプログラムをもうけて行われています。
‘主よ、いのちのことばを’はミス・ラスベリーがビンセント牧師の依頼を受けて作詞したもので、ショトークア湖畔で催された‘ショトークア文学科学サークル’の会のために作ったもので、「聖書研究の歌」という題がついていました。
187番の曲BREAD OF LIFEならびに50番のEVENING PRAISE(またの名はCHAUTAUQUA)、さらに7番の素晴らしい曲MONSELLはみなウイリアム・F・シャーウィン(1826~1888)の作品であります。
BREAD OF LIFEとEVENING PRAISEが作られたのはシャーウインがショートクアに在住中、ミス・ラスベリーと交わりがあり、二人の協同の作品で、どちらも本当に素晴らしい非常に美しいメロデーであります。
シャーウインは1826年3月14日マサチューセッツ州のバックランドで生まれ、15歳の時から音楽を有名なロウェル・メイスンのもとで学ぶようになりました。その後、シャーウインがボストンの音楽学校で声楽の教師をしていた時、ショトークアの聖歌隊やコーラスの指揮者として任命されました。彼は非常に厳しい指揮者で時には合唱隊のメンバーを泣かせるほど叱ったそうですが、かえってその厳しい中にも人格的に優れていたために非常に愛されたそうです。ですから、ショトークアのコーラスグループの音楽の素晴らしさは申すまでもないことでしょう。
<187>
1 主よ、いのちの ことばを
あたえたまえ わが身に
われはもとむ ひたすら
主よりたまうみかてを。
2 ガリラヤにて みかてを
わけたまいし わが主よ、
いまも活ける ことばを
あたえたまえ ゆたかに。
この美しい讃美歌の背景にある聖書の出来事はなんでしょうか。そうです!主 イエス・キリストがガリラヤの湖のほとりで、空腹の群衆をあわれと思い5つのパンと2匹の魚をもって5000人を満たされた、あの素晴しい5000人給食の奇跡のみ業であります。
マタイの福音書14章14~20節には「イエスは船から上がられると、多くの群衆を見られ、彼らを深くあわれんで、彼らの病気を治された。夕方になったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。『ここは寂しい所ですし、時刻ももう回っています。ですから群衆を解散させてください。そして村に行ってめいめいで食物を買うようにさせてください』。しかし、イエスは言われた。『彼らが出かけていく必要はありません。あなたがたで、あの人たちに何か食べ物を上げなさい』。しかし、弟子たちはイエスに言った。『ここにはパンが5つと魚が2匹よりほかありません』。すると、イエスは言われた。『それを、ここに持って来なさい』。そしてイエスは、群衆に命じて草の上にすわらせ、5つのパンと2匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福し、パンを裂いてそれを弟子たちに与えられたので、弟子たちは群衆に配った。人々はみな、食べて満腹した」。と記されています。
原作の1節では、‘湖のほとりであなたがパンを裂かれたように、愛する主よ、わたしにいのちのパンを裂き給え。生きていらっしゃるみことばよ、わたしはひたすらあなたを求めている!’と歌われています。このいのちのパン(日本語訳‘主よりたもうみかて’)は何を意味しているのでしょうか。それは、主イエス・キリストご自身が、主のみもとに寄ってきたユダヤ人に語られたように、キリストご自身が、天から下って来た生けるパン、いのちの糧なのです。
使徒ヨハネは「わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です」と証言しています(ヨハネ6:51)。つまり、主イエス・キリストの十字架の贖いの死を受け入れるその人は、主イエス・キリストよりのいのちのパンを食べている―主より給う糧を頂いている―ことにとって永遠のいのちを獲得していることを意味しています。
多くの現代人は、物質を次から次へとひたすら求めていますが、主が与えようとなさっている永遠のいのちのパンに対しては、おろそかにし、見向きもしないのであります。その結果、心の糧が欠乏しているために、世の中は霊的にも道徳的にも非常に乱れ、無残な姿になりつつあります。ですから、100年も前に書かれたこの讃美歌は、私たちにとりまして、いろいろな面で大切であると共に、まことの糧は主イエス・キリストであり、キリストのみが私たちの心の空腹を満たしてくださるお方であることを知らなければなりません。
また、いま一つおろそかにされていることがあります。それは、神様の生けるみ言葉である聖書に対してであります。2節は、ガリラヤ湖のほとりでみ糧を分け給うた主が、今も生けるみ言葉を豊かに与え給うように、と歌っています。今では日本の国におきましては、この生けるみ言葉の聖書を何の制限もなく手に入れることが出来ますが、昔はそうではありませんでした。また、今でもある国では、聖書を持つことに非常な危険をともなうことが多々あります。
しかし、聖書は真理でありますから、決してこの世の力に屈してしまうことはありません。むしろ、このいのちのみ言葉を受け入れず、信じず、読まずを続けているその国、その人は永遠の滅びを自らに招いていることを知らなければなりません。
さて、日本語の讃美歌は2節までですが、原作には3節と4節がありまして訳されていないのは本当に残念に思います。皆様のうちチャンスがありましたらなら讃美歌の資料などをご参照になってご一読下さい。しかし、アメリカでも歌われていませんが、3節と4節でミス・ラスベリーは、’あなたの聖なるみ言葉はわたしを救いに導くものであるとか‘主よ、み国であなたのご家族の一員として生かし、そこで共に糧を頂けるようにしてください’と歌っています。また、最後にあるまことを見させ、また、みふみによって主を見ることが出来るようにしてください、とも歌っています。
どうか読者の皆様も、ショトークアの詩人と言われたミス・ラスベリーの主へのあつき信仰にふれて、すべてを神様に任せて、熱心にみ言葉を学ぶキリストのよき証人になることを人生の目標になさって下さい。
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この「さんびか物語」は「つのぶえ社」の出版(第一刷1974年、第二刷1992年)で、出版社の許可を得て掲載しています。本の購入を希望される方は、「つのぶえ社」までご注文ください=
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」