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世田谷通信 (144)
猫 草
長男は受験勉強中。夏休みに入ったある日、猛然と部屋の片づけを始めた。小学校、中学校時代からの大量の雑貨や漫画を2日かけて分類し、大半を捨てていた。勉強に専念するために部屋のレイアウトも変えて、大改装するようである。確かにあんなに乱雑な部屋ではとても集中できないと常々思っていたので、喜ばしい限り。ずいぶん思い切ったものだと感心している。
「これ捨てる」と幾つかの段ボールに入れて、階下に運んできた物の中にはランドセルやらピアニカ、ゲーム盤、おもちゃのロボットなど結構大きな物もある。それらを燃えるゴミ、燃えないゴミ、粗大ごみ、と分別して、場合によっては素材別に分解して捨てられる状態にするのに随分と労力がかかってしまった。結局、大きなビニール袋に10袋ぐらいになり、一度にはゴミに出せないので少しずつ処分している。「捨てる」ルールは以前より格段に厳しくなっているのだ。
近所のワンルームマンションにあるゴミ集積所は、曜日も出し方も滅茶苦茶なので回収してもらえないゴミがそのまま放置されている。カラスやネコが荒らす、どんどん汚れる、さらにゴミを出す、ポイ捨ても増えるという悪循環に陥っている。環境を悪化させるのはいとも簡単にできる。でも環境をきれいに復元し、それを維持させるには様々な大人の思いやりや配慮が必要なのだ。
人が快適に暮らしていくためには、様々な生活物資を供給することと同じぐらい、廃棄することが大事だなあと思う。特に夏の暑い時期に生ごみ回収が滞ったらと、想像するだけで恐ろしい。こんなにこまめにゴミ回収がなかった時代は畑に還元していた?物を増やさない生活を徹底していた?うまく回していたものだなあと感心する。
長男に触発されて、いろいろな場所の整理を始めたので、うちのゴミは当分の間、やや増量中。あれもこれも、いつか使うかも、もったいない、誰か必要とするかも、そんな言い訳で抱え込んだ物たちのいかに多いことか。時代遅れになり劣化し、意味不明になっている大量のものたち。大事そうにしまい込まれた段ボールを開ければ、いったいなぜこれを取っておいたんだろう?と自分の判断に首をかしげるものばかりだ。そして冬には部屋だけではなく、気持ちも少しすっきりと身軽になっていることを目指そう。
*この添付のイラストは絵を描くのが大好きな次男がパソコンのペイントツールで描いたものです。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」