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ビルマ
戦犯者の獄中記 (55) 遠山良作 著
昭和22年
9月5日
―タキン党事件の裁判の状況―・・3・・
―2回目の起訴―
2回目の事件で起訴されたなら、死ななければならない、と思い続けてきた事件は、ついに「遠山良作ケース」として一人だけ起訴された。
担当弁護士は新しく日本政府から派遣された穴沢定志氏である。事務所に呼び出されて、彼から起訴状の内容について次のような説明があった。
1 英軍の「スパイ」をかくまった容疑者「セヤオンバー」を逮捕し、調べをするに当たり拷問をして死に至らしめた。
2 英軍の潜入喋者2名をかくまった罪で逮捕した「アネー」を取調べ、拷問した。この2つの事件である。
私は穴沢氏に、「問題は、セヤオンバーの拷問致死の事件ですが、私が取調べ中に死亡しました。しかし死因は病死ですが公判で死亡した原因は病死であることを立証することは極めて困難です。私はもう駄目だと思います。死刑を覚悟しております」。
穴沢氏「今から諦めなくともよい。とにかく裁判の対策を立てて病死であることを公判で立証することを考えましょう。それには、今までの判例から日本人の証言は少しも認めてくれないから、どうしてもビルマ人の証人を立てて争わなければなりません。誰か証人になってくれるビルマ人はいないでしょうか」。
私「敗戦国憲兵のために証言してくれるビルマ人がいるとは思われません。日本軍に協力した者は、対日協力者として逮捕され、裁判にかけられているのです」。
穴沢氏「この事件にはどうしてもビルマ人の証人が必要です。来るか来ないかは別にして、一度呼んでみようではありませんか」。
その穴沢氏の強い要望に、無駄だとは思ったが、セヤオンバーが病死であったことを知っている、ビルマの警察官であった、チョミー、アオンチー他3人のビルマ人をモールメンから証人として呼び出すことを穴沢氏に依頼した。
9月12日
―ビルマ人の証人―
弁護士と裁判の打ち合わせのために事務所に行く。驚いたことには、先日、証人として呼び出したけれども来るとは思っていなかったビルマ人5人がモールメンから来てくれたことである。懐かしい彼らとの再会、握手を交わす手のぬくもりが伝わる。
「マスター元気ですか、日本が戦争に敗けて大変なことになりましたね。マスターの裁判には私等が法廷で証言するから心配ない。きっと無事に日本に帰ることが出来るでしょう」と慰めてくれた。
現在ビルマを支配している為政者は、英軍であり、日本軍に叛乱をしたビルマ人のタキン党員である。彼等からみれば敵国人である私のために法廷で証言することは、彼等から何らかの報復を覚悟しなければならい。これを承知で証人になるというのである。
2年8ケ月、モールメンで勤務していた私は、彼等に一体なにをしてやったであろうか・・・。唯、戦争に勝つために、敵の情報を収集させ、利用してきた。だから彼等は、ことがあれば死をも恐れず勇敢に働いてくれた。
戦いが終わった今も忘れないでいてくれるビルマ人の友情に胸が熱くなるほど嬉しい。限られた短い時間内の打ち合わせ、積もる話も出来ないまま、再会を約束して別れた。
*文章の転載はご子息の許可を得ております。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」