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解説 ウエストミンスター信仰告白 (40)
岡田 稔著
(元神戸改革派神学校校長)
第19章 神の律法について・・2・・
3 普通に道徳律法と呼ばれるこの律法のほかに、神は、未成年の教会としてのイスラエルの民に対して、儀式律法を与えることをよしとされた。これは、いくつかの代表的規程を含み、一方において、礼拝についてはキリストとその恵み・行為・苦難・祝福を予表し(1)、また他方において、道徳的義務についての種々な教えを提示している(2)。この儀式律法はみな、今の新約のもとでは廃棄されている(3)。
1 ヘブル9章、ヘブル10:1、ガラテヤ4:1-3、コロサイ2:17
2 Ⅰコリント5:7、Ⅱコリント6:17、 ユダ23
3 コロサイ2:14,16,17、ダニエル9:27、エペソ2:15,16
三 モーセの律法は、道徳、儀式、司法の三分野を包含しているものである。これはイスラエル民族が、神の民として代表的な高徳的、宗教的、社会生活を営むべきものであることを現わしている。しかし、十戒は単なる道徳律ではなく、根本的には宗教的なものであり、明かに安息日規定をも包蔵するものであり、他方、儀式律法といえども、単なる宗教上の規定と言うだけに止まらず、人間本来の道徳を表示する要素を含んでいる。従って、両者を道徳と儀式と宗教いうように二分することは正しい理解とは言えない。それだから、ここでは道徳と儀式とに区別しているのである。
儀式律法の中で、代表的なものは過越の祭りと割礼であり、前者は「礼拝についてはキリストとその恵み・行為・苦難・祝福を予表し」、後者は「道徳的義務についての種々な教えを提示」することなどの点を、よく表している。
神の幕屋は、後にエルサレムの神殿として、ユダヤ教の中心となったが、イエスはご自身をもって、その本体であると主張され、インマンヌエルの意味を教えると共に、旧約時代の全ての儀式律法が、エルサレムの神殿の焼失を最後にキリスト教会の中から姿を消した。それは福音が律法を追い出したというよりも福音によって、律法が立派に成就されたと見るべきである。割礼が洗礼に、過越の祭がカルバリと主の晩餐にというようにである。
4 一政治体としての彼らに対してもまた、神は多くの司法的律法を与えられた。これは、その民の国家と共に終わり、その一般的原則適用が求める以上には、今はどのような事をも義務付けていない(1)。
1 出エジプト21章,22:1-28(21章,22:1-29)、創世49:10、Ⅰペテロ2:13,14(*)、
マタイ5:17,38,39(**)、Ⅰコリント9:8-10
*創世49:10をⅠペテロ2:13,14と比較
**マタイ5:17をマタイ5:38,39と比較
四 「目には目を」と言った報復の規定や「離縁状」に関する指示などは、家庭、社会の各方面にかかわる地上の生活の律法であって、専門家の立場から見ても、実に古代社会の律法として優れたものとされている。
モーセ律法の第三部門に関しては、イスラエル民族は地上教会の前身である以上、教会と国家との分離の原則に照らしても、当然、教会内での適応性はなくなっている。「キリスト者の律法からの自由」の中には、原始キリスト教時代のユダヤ人信者に大問題になっていた、儀式律法や司法律法からの完全解放という意味があったことは使徒行伝15章を読むなら、すぐ気付くところである。
5 道徳的律法は、義と認められた者にも他の人にもすべての者に、永久に、それへの服従を義務付けている(1)。そのことは、そのうちに含まれている事柄のゆえだけでなく、それを与えられた創造者である神の権威のゆえにもそうである(2)。キリストは福音において、この義務をいささかも廃棄せず、それを大いに強化しておられる(3)。
1 ロマ13:8-10、エペソ6:2、Ⅰヨハネ2:3,4,7,8
2 ヤコブ2:10,11
3 マタイ5:17-19、ヤコブ2:8、ロマ3:31
五 キリスト者の自由の問題で、とかく議論の尽きないのは、この道徳律法に対する義とされた者との関係である。大まかに言って、前者の儀式律法や司法律法を教会内の規則として義務付けようとする立場が律法主義であり、本項にあるように道徳律法からも信者はまったく解放されていると主張する立場が律法廃棄主義(または反律法主義)である。
この点については、日本キリスト改革派教会創立宣言を参照していただきたい。わたしたちは両極端を否定して、道徳律法の義務性からは放免されていないと主張する。その理由は根本的には律法は神の意志であり、神の命令は神のご性質に基づくものであって、被造物として創造主なる神の絶対的権威に服することからの自由は全然考えられないからである。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」