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小閑記
おろかな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。そうしたら、あなたが用意した物は、だれのものになるのか。
=ルカ12:20=
このみ言葉は勤労・勤勉が無駄であり、怠惰と貧困が良いかのように教えるためでないことは明らかです。私たちは、日々の生活の苦しさを体験した世代、貧農と言われた地域に育った者の厳しい体験は、今の豊かさの中にある貧しさとは比較にならないと言えるかも知れません。
しかし、幾ら豊かに所有していても、その気持ちの中に感謝する心が無ければ、富める貧しさではないでしょうか。
また、怠惰に対して、もう少し不親切であったら社会は変るのではないかと思わされます。安易に求めるところに怠惰が潜んでいると思うなら、これもまた社会にとって不幸なことです。
この聖句に登場するのは農夫です。勤勉に働き、富を貯えた喜びの中にありました。勤勉がもたらした果実を手に入れ、飲み食いするに十分過ぎるほどの中にありました。人はこの農夫を見て、羨ましいと思ったことでしょう。多くの人は成功者と言うでしょう。しかし、イエス様は「おろか者」だと言われるのです。
彼の置かれた命は死の冷ややかな中にあったのです。彼の得た全ては、永遠の貧しさにもなるものでした。人間にとって、真に生死をかけることが何であるかを知ることは、何にも勝ることです。
私たちのために備えて下さった神からの富は、地上の豊かさではありません。神が備えて下さった富は、永遠の命、神の国でした。私たちのなすべき備えは、先ず神の国を求める賢い者になることです。この世を愛し、神に敵対していることを忘れる危険を自覚することです。
主イエス・キリストを信じ、知る知識、従う勇気の人こそ幸いなのです。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」