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ビルマ
戦犯者の獄中記 (56) 遠山良作 著
昭和22年
―タキン党事件の裁判の状況―・・4・
9月26日
―裁判―・・1・・
22日から「遠山良作ケース」として始まった。裁判は、毎日が生きられるか、死ぬのかの戦いであったが、今日はただ判決を待つのみである。いつものより早く目が覚めた。外はまだ暗い。歩哨の靴音のみが、カツカツと闇の中から響いて来る。
〝死の影″に怯えつつ過ごした牢獄の生活で、人間の弱さ、無力を知った。頼れるものはただ全能の神であることも知らされた。今朝も一人神のみ前に祈る。
「神様、私は裁かれることは致し方ありません。死ぬことも、生きられることも、すべては神様の御手にあります。けれども私は生きて両親が待っている日本に帰ることを願う哀れなる者であります。どうかこの願いを聞き入れてください」とひたすら祈る。
私に判決を下す裁判長は、重罪を科すことで悪評高い、ウオリッイ中佐である。法廷で証言する、証人の一言一句が、私の生命にかかわる証言である。弁護士と検事との論戦は激しく、すさまじい戦場での死闘の延長であるかのように思えた。
初日に検事は「アネーを拷問した事件」について、本人アネーを証言させた。アネーは「私は1944年(昭和19年)5月10日弟アロンたちと共に、ブリジヨン島で憲兵に逮捕されました。理由は、印度から潜入した英軍の諜者ISLD(ハロルド・ホーク)大尉と「ソーユーセイン」中尉(ビルマ人と支那人の混血)の二人を匿い、英軍の潜水艦で印度に帰したことを憲兵が探知したからです。
私は7月7日まで憲兵隊に留置され取り調べを受けました。その間、遠山をはじめ3名の憲兵からひどい拷問を受けました。
1 杖で頭部及び体をひどく殴打されました。
2 手をしばられて20分位天井からつるされました。
3 太さ3インチの鉄管で向こう脛を打たれました。
4 バケツの水を口から無理やりに注ぎ込まれて腹を蹴られました。
死ぬかと思うほどひどい仕打ちでした。1944年7月11日ラングーンに送られ、日本軍の軍事法廷で裁かれ、「インセン」刑務所で服役させられました。1945年4月26日、日本軍がラングーンから撤退したので、脱獄することができました」と証言した。
続いて「アネー」の証言を裏付けるために、「アネー」と一緒に逮捕した「インサン」が憲兵隊で留置されている時、遠山が「アネーを杖で打ったのを見たことがある」と証言した。
*文章の転載はご子息の許可を得ております。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」