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世田谷通信(146)
猫 草
季節感がなくなり、地域の祭りなどの担い手がいないので、町ぐるみで行う行事が減りつつあるという。しかしそんな流れと逆行してしっかり定着してきたのがハロウィンだろうと思う。10年以上前、社宅に居て、長男がまだ幼稚園だった頃は、単なる子供たちのためのお楽しみだった。親が仮装を用意し、クッキーやチョコなどのお菓子を家の前に並べて、子供たちが社宅を走り回ってお菓子を集めていた。今ほどコスチュームもなく、専ら親の創意工夫によるところが大きかった。手芸上手なら凝った衣装に、不器用ならお面とマント。ハロウィン用のお菓子もそれほどなく、普通の菓子をオレンジと黒の紙にでも包むので十分。海外居住経験があるお宅だと本場のグロテスクな蜘蛛や大きな蝙蝠で玄関をデコレーションして子供たちを怯えさせていたけど。なんにしてもエリア限定の子供の遊びの延長にすぎなかった。
ところが、ここ最近様子が変わってきた。子供から若者に拡大し、さらにいい年の大人もハロウィンのコスプレにはまっていると聞く。それ楽しいのか?と思ったらふと記憶がよみがえった。遡ること四半世紀前の学生寮での自然発生的な民族衣装パーティ。きっかけは一人がインド土産のサリーを着てみせたこと。「そういえば・・」と一旦自室に戻った寮生が世界各国の民族衣装を着て再登場したのだ。断っておくが留学生ではなく全員日本人である。どういう事情で皆のタンスにそれらがあったのかは謎。タイ、ベトナム、中国、台湾、インドネシア、スイスなどの民族衣装にアフリカのお面までずいぶんバリエーションは豊富だった。なし崩し的にフロアは仮装パーティ状態になり、知らぬ間に別棟の人まで民族衣装で参加していて、随分な人数になっていた。単にそれ1度だけだが。皆が同じ方向を向いていれば連帯感が湧くのだ。そういう意味では10月末に渋谷やテーマパークに仮装して出かけていって初対面で意気投合する気持ちもあながちわからなくはない。
同じコンテクストを共有することでその場だけのつながりが出来る。地域社会や組織でのつながりは薄れても、自分で決めた「価値」を共有する人とはつながりたい。ネット社会の「いいね!」を具現化したのが全く宗教的な背景をもたない日本独自のハロウィンかもしれない。
*この添付のイラストは絵を描くのが大好きな次男がパソコンのペイントツールで描いたものです。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」