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小閑記
「恵みによって、心を強くするのがよい」。
=ヘブル13:9=
人はどのような年齢でありましても、希望を持ち、静かに主イエスの救いを待ち望むのは何と素晴らしいことでしょう。
人は若い時に、いろいろの苦難や課題を背負うことはよいことです。背負い切れないものもあるのも事実ですが・・・。そのような時、主を仰ぎ見ることの出来る人は幸いです。そこに「主イエス」が居られますから。
私たちの望むものは何でしょうか。ひと時の静かな安らぎ? 日々の生活に困らない程度の富? 大きな重い病でない健康? もしそこに希望があると思うなら、それもその人の幸せと言えるでしょう。
しかし、神様は言われます。「若い時にくびきをおうことはよいこと」と。そこから人は、何かを学ぶからです。そうして、全ての恵みの背後に、神の愛を知り、み手の支えのあることを知ることが出来たなら、何と幸いなことでしょう。人は、苦しみの時に神を求ます。しかし、穏やかな日々、静かな時の神の愛を、救いの恵みを示された人は幸いと言えます。
きれいな花を咲かせようと日夜お世話をする人の心の中に、思い描く花を待ち望んでいる時、その労苦は、感謝の果実を心に得ていると言えないでしょうか。苦難と言う言葉を人は口にします。しかし、簡単に口に出来る言葉でしょうか。絶叫、絶望からの叫びの声であるからこそ、神のみ手が差し伸べられるのです。
神の恵みは、誰もが望む愛であり、希望であり、救いであり、永遠のいのちであります。その望みは、主イエス・キリストにあるのです。静かに、こころおきなく、キリストのお語りになるみ言葉(聖書)に、聞き入る日々もまた幸いな時となります。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」