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ビルマ
戦犯者の獄中記 (57) 遠山良作 著
昭和22年
―タキン党事件の裁判の状況―・・5・
9月26日
―裁判―・・2・・
二日目からは、"セヤオンバーの拷問致死″を立証するために、検事は証人モンピンを証言させた。彼は、「私は1945年4月11日セヤオンバーと共に憲兵に逮捕され、憲兵隊に留置されました。遠山がセヤオンバーを取り調べるために房から連れ出すのを何回も見ました。45年4月19日の22時頃、遠山と通訳センタンに助けられたセヤオンバーがよろめきながら房に戻って来たのを見ました。その翌朝、セヤオンバーが死んだ、といって二人の番兵が房から連れ出しました」。
続いて証人オンペイの証言は、「連合軍のスパイを助けたという疑いでセヤオンバーたちと共に憲兵隊に逮捕されました。セヤオンバーは私の隣りの房に入れられていましたが、遠山は彼を取り調べるために何回も房から連れ出しました。帰って来たセヤオンバーは、弱々しく疲れ切っていました。4月19日の夜、房に帰って来た彼は歩行困難で通訳と日本人に助けられ房に入れられました。翌朝、セヤオンバーの房内にいた一人が、番兵にマスター、セヤオンバーが死んでいる、とビルマ語で叫んだのを聞きました。それから二人の日本兵が来てセヤオンバーの死体を房から出したのを見ました」。
検事側証人の証言が終わると間髪入れず弁護士の鋭い反対尋問が行われる。検事から指導された証人も、答弁できず狼狽し、はっきり虚言であることが分かる証人もいた。
三日目を迎えた朝、私は警備に英兵に連れられて便所に行った。用便を済ませた時に、突然大便所の戸がパッとあいて出てきた者は思いがけない、センタン(検事証人元憲兵隊通訳)であった。私は思わず、「おお、センタンか、お前が調書に書いた通りの証言をしたら俺はきっと死刑になるだろう」と叫ぶように言った。センタンは無言のまま、私をじっと見つめて立ち去った。
センタンの供述している調書とは、「セヤオンバーは連合軍の落下傘諜者を助けた廉で憲兵に逮捕留置されました。遠山はある程度のビルマ語を話せたけれども、私を通訳に使いセヤオンバーを取り調べました。自白させるために、たびたび拷問をしたので歩行が困難になり、そして間もなく彼は、死にました」と供述し、調書に「サイン」をしていた。
センタンは検事側の最も有力な切り札とも思われる証人である。検事はセヤオンバーが死亡した原因は拷問の結果であることを立証するためにセンタンを証言台に送って訊問した。
センタンは「遠山は、セヤオンバーを取り調べたが、決して拷問しなかった。セヤオンバーは逮捕された時心臓が悪いと私に話したことがあり、病死であったと思う。彼の検屍に来た日本の軍医も病死である、と話していた」。と証言するセンタンに、検事は驚いた。机を叩き威圧するような大声で訊問をくり返した。センタンの証言は、ますます検事側に不利になるばかりであった。検事はついにあきらめ、途中で訊問を中止してしまった。
センタンの証言が、検事を裏切る、予期もしない証言をした理由の一つは、
終戦直後、わたしが戦犯容疑者としてモールメン刑務所の独房にいた頃のことである。日本軍に協力したとの理由で多くのビルマ人が逮捕され同じ刑務所に留置されていたが、「センタン」はその一人であった。日本軍に協力したために牢獄で呻吟している彼等の姿を見て私は哀れに思った。センタンに「戦争に敗れた俺たちがここに入れられるのは仕方ないが、お前たちまでこんな目に合わせて申し訳がない。英軍は何の取り調べをしているのか」。
センタン・・「戦争中憲兵はどんな悪いことをしたか、憲兵に協力した者は誰であるか等のことを調べている」。
私・・「憲兵の悪口なら何を話してかまわない。これから英軍に協力すると誓って早くここを出ることが大切である」と彼に話したことがあった。
センタンの調書は、その頃、英軍の取調官によって作られた調書である。検事側の全ての証人調べは終了した。続いて被告である私は証言台に立って次の証言をした。
「セヤオンバー及びアネーを取調べするに当たって一つや二つは殴打したと思うが、彼らが証言したような拷問はしなかった。セヤオンバーは老齢で、しかも病弱であった。死因は心臓病であると軍医は診断した」と証言した。
弁護士側の証人である、アオンチー、チョミーはビルマの警察官であったが、日本語を若干話すことが出来たので、憲兵隊に勤務させて、時には通訳として使っていた。
チョミーは・・・「遠山は取り調べを行う時、決して拷問などしたことは一度も見たことがなかった。セヤオンバーは病気で死亡した」。
アオンチーは・・「遠山はを取り調べた時、私も通訳をしたが彼は決して拷問をしなかった」と証言した。
他の三人のビルマ人も直接事件とは関係なかったが、「遠山は温和で立派な憲兵で住民は彼を尊敬し、慕っていた」と具体的な例を挙げて人格証言をした。
すべての証人調べは終わり、検事は論告を読み上げ死刑を求刑した。
大沢弁護士は「セヤオンバーの死因は検事側証人センタン及びアオンチーたちの証言で病死であることは明らかである。アネーを拷問したとの証言は彼等によって作られた虚偽の証言である」との弁論を読み上げ無罪であることを主張した。
裁判長の判定は致死を除き有罪を宣し、禁固15年を科した。
*文章の転載はご子息の許可を得ております。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」