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今月のことば
神を信じた結果。約束された聖霊の証印をおされたのである。この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるためである。
=エペソ1:13~14=
キリスト者の生活を、祈り、讃美する。ほめたたえ、捧げ物をする。説教を聞き、献金をし、聖書研究の集まりに出席し、聖餐にあずかり、食前の祈りをする。このような信仰的行為でなされるのが一般的と言えます。キリスト者の信仰生活を堅苦しいと思われる方もおありでしょう。
では、自分の思いのままの生活に、真の喜びは生まれるでしょうか。お互いに自己主張し合う社会、人の目を気にしながら、また人を無視し、差別する社会、会話の無い家族、そこに喜びはあるでしょうか。キリスト者は禁欲主義者なのでしょうか。もし、キリスト者の生活がそのように思われているとしたら、それは証の少ない閉ざされた信仰生活と言えましょう。
キリスト者の信仰生活は、華やかではありません。開放的であっても静かなものでもあります。
社会がめまぐるしく動き、時流の出来事に飲み込まれ、自分を見失うほどの情報に翻弄されて、疲れていないでしょうか。そうであるなら、キリスト者は、批難されても、厳しい傍観者になることが大切ではないでしょうか。一人一人のこころに信仰と救いと約束された証印を受けた者として、勇気を持って「緑の牧場」(詩篇23編)を語り、「いこいのみぎわ」を指し示す信仰の証し(宣教)の時ではないでしょうか。
新しい2016年という歴史を、どのように思い描くかは、キリスト者一人一人の日々の信仰の生活に関わっているとしたら、光栄なことと言えましょう。
「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことはない。主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。たといわたしは死の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです」。(詩篇23:1~4)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」