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ビルマ
戦犯者の獄中記 (58) 遠山良作 著
昭和22年
―タキン党事件の裁判の状況―・・6・
-裁判-
―タキン党事件に思うー・・1・・
死刑は免れることはないと思っていた二回目の事件は、穴沢弁護士や、ビルマ人の友情によって助けられた。15年の刑を受けて東独房に帰って来た私を、運動に出ていた出田大佐たちは、「よかった、よかった。生きていればいつか必ず日本に帰れるからなあ」と肩を叩いて喜んでくれたのである。
今まで自分の裁判のことのみで死刑の判決を受けている東大尉たち10名の友が西独房にいることすら忘れていた自分が恥ずかしく、申し訳なかったと思う。
タキン党事件で死刑を受けている多くの友は、怒涛の如く攻め寄せる優勢な敵の包囲網を突破して、ようやくモールメンに辿りついた者たちである。タキン党事件で殺されたあのビルマ人たちが、日本軍に対してどのような役割をなしたのか、詳細には知らないと思う。ただ命じられるまま、現場に行き彼らを斬ったからである。
そもそもこのタキン党事件で彼らを逮捕したきっかけは私のような気がしてならない。否、張本人かも知れないのである。
昭和20年2月も終わりに近い暑い日の出来事であった。私と親交の深かったモールメン地区のタキン党の幹部であった、タキンタント〈印緬混血〉から、「明日の夕方6時に街外れにあるモッポのパゴダ〈寺院〉に通訳を連れず一人で是非来てほしい。話したいことがある」との連絡があった。私は唯事ではない・・・。「何かあるな」との予感がした。拳銃を懐に忍ばせ高鳴る胸の動悸をおさえて指定された場所に行った。日中の灼けつくような太陽はすでに西の空に沈み、僅かにそのあたりはぼんやりと明るさが残っている。
しかしパゴダの付近は薄暗かった。まだ早かったかなと思いつつ、塔の中央付近まで歩いて行くと、何処ともなく現われた大柄なタキンタントは人目を避けるようにパゴダの陰に身を寄せて、“マスター”と呼びかけて来た。そして私に思いもよらない情報を知られてくれたのである。
彼「ビルマのタキン党とビルマ軍は間もなく、日本軍を叛乱するであろう」
私「それは本当であるか」
彼「本当である。タキン党員でモールメン地区の責任者である私が言うのだから間違いない」
私「モールメン地区のタキン党員もその一味であるのか」
彼「そうです。ただ誰と誰がその関係者であるのかの名前は私の口が話すことではない。その人物はマスターの方で調査して下さい。これ以上詳細にお話しすることは出来ない」と一気に私に話してくれた。私は彼の言葉に驚きつつ、質問を続けた。
私「こんな重大な情報を何の理由で私に話すのか」
彼「私は同志を裏切るような行為は本当はしたくない。むしろ同志にはこころ苦しく思っているが、再び英軍がこのビルマに来ることだけは許せない。この英軍に協力しようとしている同志たちにときには憎しみさえ感じる」と言う。
*文章の転載はご子息の許可を得ております。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」