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今月のことば
神さま、罪びとのわたしをおゆるしください。
~ルカ18:13~
私たちを神より離し、すべてのものの上に災いと悲しみをもたらすものは、何でしょうか。それは、誰もが持つ弱さと罪であると聖書は言います。しかし、生ける者が持つ弱さ、罪を私たちは、心の中では認めても、それを公にすることは日本人の私たちには、とても難しいことです。その理由の一つになるかどうかは別にして、神様との関わり方が異なるからでしょう。弱さは認めても罪としては認められないとするなら、どのように生きるべきなのでしょうか。
それは、罪を赦し、弱さを愛をもって強め、励ましてくださる神を知ることではないでしょうか。
弱さも、不完全さも、穢れも全て、受け止めて下さるお方が居られると知ること。罪を罪としてその身に負って下さり、赦しという約束をしてくださるお方を知ることが、とても大切なこととなるなら、それを知ろうではありません。
私たちの中に、心の弱さを克服し、悲しみに打ち勝つ力がないと認めることは、敗者・意気地なしでしょうか。そのように見られ、言われても、いいではないですか。
罪深い者と認めることは、誇りを傷つけることになるのでしょうか。むしろ、正直に認めることに、希望があるとするなら、認めようではありませんか。偽善者として生きるよりも、罪を認めて生きる者に喜びが約束されているなら、それを信じようではありませんか。
『神さま、罪びとのわたしをおゆるしください。』という心の叫びは、真実・正直な告白です。
私たちは、この告白を、人の前では出来ません。しかし、可能にするのが、許すことの出来るお方であると、知り、認め、信じることで可能にするのです。そのお方こそ、私たちの救いを約束し、保証し、確かなものとして示された、十字架のキリストなのです。
私たちの日々を、捜し求める人生にするか、信じて、その恵みに生きる人生にするかは、神様を信じるか、自分の迷いの中で生きるか二つに一つとするなら、神様を信じる2016年にしようではありませんか。
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・・・ 12月号を ありがとうございました。一頁目に干し柿を載せて頂いて、なんだか気恥ずかしいです。 冷えてきました。どうぞお身体大事になさって下さいませ。・・・
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」