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さんびか物語・・・22・・・
(広く愛唱されている50曲)・・・22
ポ―リン・マカルピン著
(米国南長老教会婦人宣教師)
讃美歌240番
とざせる門(かど)を 主はたたきて
<神様のみ言葉>
「見よ。わたしは、戸の外に立って叩く、だれでも、わたしの声を聞いて戸をあげるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする」。
~ヨハネの黙示録3章20節~
この讃美歌は、私たち罪人に対する神様の招きを歌い上げたものであります。讃美歌240番の作詞者ウイリアム・ハウは、弁護士の子として、1823年12月13日、イギリスのシュルーズベリーに生まれ、1845年オックスフォード大学を卒業し、翌年、国教会の聖職となりました。
彼は、故郷のキダミンスターの副牧師をはじめに、各地の教会で奉仕を続け、1879年東ロンドンの副司教となりました。
東ロンドンの貧民街での彼の宗教活度は、実に素晴らしいものでした。彼は自分の名誉や財産を投げうつばかりでなく、己を捨てて、貧しい人々のために、すべてを捧げたからです。それは、彼に対する、人々の呼び名からも知ることが出来ます。人々は彼を、「子供の司教」「平民司教」「乗合馬車の司教」と呼んでいました。この呼び名こそ、彼が人々からいかに愛され、尊敬されていたかを私たちに教えています。当時の司教は、立派な家、広い庭、美しい四輪馬車に乗っているのが普通でした。
彼らの対象は、金持ちや貴族であったのに対して、ハウのそれは、貧しい人々であり、平民であり、その生活は、貧しい者たちと同じものでした。彼は宗教活動の傍ら、多くの著書の他に、美しい讃美歌を60程書いています。
1854年には、T・B・モレルと共著の讃美歌集 psalms and hymnsを出版していますが、1867年には、この讃美歌集に手を加え大きくして出版しています。
1871年には、Church hymns という別の讃美歌集の編集にも携わっています。1888年ウォクフイルドの司教となり、1897年アイルランドで亡くなりました。この讃美歌は、ハウが、ジーイン・イングローの詩Brothers and
a Sermonに感動して作ったものであった、と彼自身語っています。
この詩の内容は、漁師の村の教会で、2人の兄弟が、日曜の礼拝で牧師の説教を聞いています。その説教の主題は、ヨハネの黙示録3章20節のみ言葉です。それは「見よ。わたしは、戸の外に立って叩く」であります。それは、主イエス・キリストが今、あなたのところへ―私たちの心の扉の前にお立ちになっておられる―というのであります。
C・S・ロビンソンは、この詩の創作にはホルマン・ハントの名画「世の光」の影響が強いとみています。しかし、いずれにいたしましても、ハウがヨハネの黙示録3章20節から、霊感を受けたものと言えましょう。この詩は1867年に作られ、同年彼とモレルが編集したPsalms and Hymns の付録に収められて世におり出され、次第に広まり愛唱されていきました。
この讃美歌の曲ST・HILDAには他の名も付いています。それは、ST・EDITHです。また、曲も2人の作曲家の手になっています。最初の8小節は、ドイツ人のユスティーン・H・クネヒト(1752.9.30)のものであり、そのおよそ80年後の1871年に、イギリス人のエドワード・ハズバンド(1843~1908)が、終わりの8小節を加えて出来上がったのがこの讃美歌であります。
ハズバンドは、国教会の牧師として一生を終えましたが、その間、教会音楽の講義に、また礼拝用音楽の作曲にも携わっています。
<240>
1 とざせる門を 主はたたきて、
こたえいかにと たたずみたもう。
ながく外部(そと)に 立たせまつる
われら御民の こころなさよ。
1節では、かたく閉ざされている私たちの心の扉の前に、たたずみたもう主イエス・キリストのみ姿と、私たちの態度が中心になっています。ホルマン・ハントの名画「世の光」には、その扉が、いばらと雑草におおわれ、その扉以外には入るところもなく、外からは、いばらと雑草の入り口の他には誰も入れないようになっています。しかし、キリストは、灯を手にして、ご自分を拒否する人々の心の扉の前に立ち続けています。
無論、いばらと雑草の扉は、私たちの不信仰な心、罪に覆われている心、神様のみ言葉を受け入れない心を、あらわしています。このかたくなな私たちの心の扉を忍耐と愛をもって、主イエス・キリストは、たたき続けておられます。
ハウが歌っていますのは、たたきたもう主イエス・キリストのみ声に、どのように答えたか、ということであります。
あなたは、どういたしますか。耳をふさいで拒否しますか。それとも、またされたキリストが、どこかへ行くのを待っていますか。いいえ、キリストは耳をふさごうとも、行くのをまっていようとも、あなたの心の扉をたたき続きます。
しかし、人は拒否し続けるのです。私たちとって、このような心は実に神様に対する忘恩的行為であり、罪そのものでなくして、なんでありましょうか。
ハウは、人の心の罪深さを、まごころから悔い改めることをすすめています。それは私たちが、神の民であるにもかかわらず、主イエス・キリストを拒否しているからであります。
2 みつくしみの なみだもて
今なおやまず、 おとないたもう。
主イエスの愛の そのひろさよ
われらが罪の そのふかさよ。
2節では、愛といつくしみに富みたもう、主イエス・キリストのみ姿を描いています。“みいつくしみのなみだもて、今なおやまず、おとないたもう”と歌っています。キリストは、何故に、涙をもって私たちをおとずれたもうのでしょうか。それは、キリストのみ声を受け入れようとしないからであります。
昔、イエス・キリストの愛と救いを、好まなかったエルサレムの市民は、神の審きを受けて、滅ばされてしまいましたが、今に至るまで、キリストを救い主と信じ受け入れない人々は、滅ぼされます。キリストは人々の滅ばされるのを、見過ごしにならず、その悲惨を、ご自分の悲しみとして、涙をもって、私たちにおとずれてくださっているのであります。
どうぞ、あなたも、この主イエス・キリストの愛と救いを受けてください。自分の罪の深さ、ひどさを認めてください。また、主イエス・キリストの愛のひろさを味わってください。
3 「汝(なれ)らがために 死にしわれを
などか拒む」と おおせきこゆ。
今はいかでか ためらいおらん。
主よ、戸を開く、 入らせたまえ。
3節では、閉ざす扉の前に立っておられる主イエス・キリストが、あなたのために死んだ私を、なぜ、拒むのですか、と言われています。この質問は当然であります。あなたは、あなたを救うために、そのいのちを捨てて、あなたのために命を与えようとされた方を拒みますか。むしろ感謝で涙があふれることでしょう。
キリストのみ声を拒む者は、自分は罪人ではない、と思い込み、信じきっているからでしょう。自分の本当の姿や状態を知らないために神様の愛をも理解出来ないでいるのです。キリストの贖いの死の深い意義、キリストの死によって与えられる罪の救いのありがたさは、自分の本当の悲しむべき姿を知っている者のみが、知り得るものであります。
パウロは、ローマ人への手紙5章8節で、次のように語っています。「しかし,私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます」。
私たちは、このようにみ言葉を通して、キリストの救いのみ業と、神様の愛について教えられ、また、知らされているにもかかわらず、何故に、躊躇しているのか、と作者は言っています。
あなたも、いばらと雑草におおわれた、かたくなな心の扉を、かなぐりすてて、“主よ戸を開く、入らせたまえ”と告白して、主イエス・キリストの救いを受け入れてください。
そのためには、あなたは扉を開くこと、主イエス・キリストを、今、お迎えすることであります。「だれでも、わたしの声を聞いて戸をあげるなら、わたしは、彼のところにはいる」との素晴らしい約束を、あなたのものとしてください。
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=この「さんびか物語」は「つのぶえ社」の出版(第一刷1974年、第二刷1992年)で、出版社の許可を得て掲載しています。本の購入を希望される方は、「つのぶえ社」までご注文ください=
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」